2014年11月3日月曜日

微笑

無料の公開授業に参加出来ると聞き、言語聴覚士を養成する医療専門学校での講義に参加した。講義を聴くという体験は、20年ぶりだったので少し緊張もしたが、新鮮な気分を味わえた。
タイトルは「子供が言葉を獲得するまで」
赤ちゃんが成長と共に言葉を話すようになる為に必要な事について学んだ。
以前から興味のある分野だったのだが、いざ、講義の中で難解な専門用語を用いて説明されると、なかなかストレートには頭に入って来ない。これが長年、脳を刺激する事を怠ってきたつけなのだろうか?(~_~;)

講義の中で、言葉を話すことが出来るようになるには、人との関係、モノとの関係、音韻の発達が重要になるという事を教わり、その中で興味深い話があった。
赤ちゃんが見せる微笑は、単なる生理的な反応から情動の共有による誘発的な反応へ移行し、最終的に大人が見せるような社会的な外部を意識したものへ変化していくという。
今まで当たり前だと思っていたことが、成長発達という仕組みがあって出来上がっている事に今更ながら気付かされた。

同じグループの参加者の中には、自分と同じ位の世代と思われる女性も2人居たが、半分以上は20代の若者だった。
学校の施設を、在学中の学生が先導して丁寧に説明してくれたが、彼らの殆どは普通大学を卒業してから全くの異分野であるこの世界を志すらしい。社会人としての経験を積んでから新たに入学する30代、40代の学生も非常に多いと聞いた。

帰りの電車の中で、中学2、3年生くらいの脳に知的障害を持っていると思われる男の子を連れた3人家族と居合わせた。
お父さんは色々な心配や心労もあるのだろう。無表情に外の景色を見ている。
お母さんは子供が興奮して飛び出さないよう、電車が停車してドアが開く度に腰に手を廻して優しく支えていた。
両親2人に会話はなく、2人の大人が見つめる中でその少年は時々、見知らぬ人に向かって手を振ったり、ぶつぶつと独り言のように何かを呟いていた。
電車が再び走り出し、対向車とすれ違った瞬間、その男の子は突然奇声をあげ、窓の外の誰かに手を振りだした。車内の視線は一斉にその子に注がれ、静まり返った車内で男の子の奇声だけが響いていた。
次の瞬間、お父さんはその男の子を力強く抱擁し、男の子は安心したのか、やがて静かになった。様子をずっと見ていた私の目に入って来たそのお父さんの顔には、私が今まで見たこともないような安らぎと慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいた。

ディズニーランドの最寄駅で降りていったその3人の親子の背中には、楽しそうにミッキーの話をしながらはしゃぎ回る子を連れた、近くにいた家族の何倍もの愛が宿っているような気がして 目頭が熱くなった。

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