2014年12月27日土曜日

イタリア語を話すポジションとは?

「イタリア語を話すように歌う」という表現程、ベルカント唱法の真髄をついた言回しは無いのではないでしょうか。
イタリア人が話している様子は今日ではテレビやYouTubeで見ることが出来ますが、彼らの話しているポジションを観察する事は、オペラ歌手が歌っている様子を観察する事より優先して取り組むべき事だと思います。

「話す発音の仕方と歌う為の発音の仕方は異なる」と「話すように歌う」を混同してしまう方が多いのですが、前者は万国の言語に当てはまる考え方なのに対し、後者はイタリア語を話す発音の仕方ではなく、話すポジションに対する考え方です。
イタリア語を話すように軽く、甲高い感覚で歌う事は他のいかなるテクニックを用いて試行錯誤するより遥かに効率的で、的を得た方法なのです。

オペラ歌手ではない、一般のイタリア人の話し方はかなり口を横に開く特徴的なもので、この事が彼らの豊かな表情を作る要因の一つになっていますが、日本人のオペラ歌手がこの発音の仕方を真似てしまうと、喉の開き方が不完全な状態になり易く、思うような結果を得ることが出来ません。
我々が学ぶべき事は「その甲高さや母音の発音がどのように声のポジションに影響を与えているか?」という点です。この点を理解する事で喉への負担を大幅に軽減する事が出来、歌う為に必要な最小限の筋力だけで歌えるようになるのです。

日本のテレビで活躍しているイタリア人の日本語の特徴的な話し方を観察してみて下さい。その話し方で友人に話しかければ「変な人!」の烙印を押されるかもしれませんが、そのまま歌ってみれば「上手いじゃん!!」に変わるかもしれません。(^o^)

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2014年12月16日火曜日

声を当てるポジションは前か後ろか?

声を当てるポジションを前にするか後ろにするかで悩んでいないでしょうか?
日本では「声は奥から回して前で響かせる」と声の道筋を作って発声している人が(特に女声に)非常に多いように感じます。
実際にこのような出し方をしている人の声を間近で聴くと、確かに喉はよく開いており、響きも前に集まっているように感じます。小さなホールで聴いても安定した声と感じさせられる声です。

舞台が世界に移ると、この印象は大分変わってきます。
欧米や韓国、中国の歌手を聴くと、確かに声を後ろから回しているように喉が開いて、顔の前に響きが集まっているように感じます。一見同じ事をしているように 思える日本人の歌手を同じ舞台で聴くと声質が云々というより、響きが身体から離れきっていない印象をどうしても受けてしまいます。特に男性歌手でこのような出し方をしている人は上の5線の近くの音になると、他の国の歌手とはかけ離れた、全く異質な声を出していると感じざるを得ません。
女性ではこのパッサッジョ付近の音域で男性ほどの不自然さを感じることはありませんが、その事が逆に、外国人歌手との差を歌っている当人に感じにくくさせている要因になっているような気がします。
もっとも、この日本人歌手も日本人だけに囲まれて歌っていれば、そのような印象を聴衆に与えないで、もっと高い評価を得られるのでしょうが・・・・・・・~_~;

声を当てるポジションの前後関係というのは『結果的に感じる感覚』であって、"当てよう" とするものではありません。
"意識的に" 声を当てる場所は存在してはいけないのです。
結果的に『歯の裏に当たっている』『外で鳴っている』『軟口蓋が上がっていた』といった様々な感覚により前や後ろに感じるからといって、その経路を辿るような出し方をしていたのでは欧米人のようなインパクトのある立体感のある声を出すことは出来ません。

私はレッスンをしていて「すぐに外!」という表現をよく使うのですが、分析するのが大好きな人は、声の経路を省いたその説明だけでは仲々納得してくれません。
現在主流となっている横隔膜の使い方や喉周りに注視する方法で習われている方々には殆ど理解して頂けない変な自信もあります。(^◇^;)

「すぐに外!」でなければならない理由を納得して理解してもらうには、本番で思うように歌えなかった時の状態を思い出してもらうのが一番です。
お客様を前にして息や声の伝達経路を確認しながら歌えば必ず声の問題が起こります。
その原因を体調不良や、テクニックの欠陥に結びつける前に絶対に考えなければならないことがあります。

「テクニックを考えずに感情に委ねて歌えていたか?」

もし答えがYesならば声は「すぐに外!」だったに違いありません。
逆に、歌った本人がテクニックを考えずに感情だけで歌えたと思っていても、聴いた人がそう感じなかったとしたら、歌い手側に感情以外のテクニックについての何らかの意識が芽生えていた証拠です。

「すぐに外!」が意味する外とは "身体の外" ではなく、「声のポジションは前か後ろか?」と考える "思考の外" なのです。

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2014年12月13日土曜日

本番の舞台で最も支えになる事

ミニコンサート&ミニ発声講座と題した地元密着のイベントを昨日行いました。
前半に私が10曲ほど歌った後、休憩を挟んでベルカント唱法のプレゼンテーションを行い、最後に一番最近に入った生徒さんに一曲歌ってもらいました。

今回はコンサートが加わった為、前回に比べてかなり多くの参加者の前でのプレゼンテーションになりましたが、興味を持たれた方々は前回と同様に熱心にメモを取られていました。人前でプレゼンをするのはまだ2回目、本当に手探り状態の中、やって良かったと心から思えた瞬間でした。

ところで、みなさんは本番の舞台で何を心の支えにしていますか?
それまで培ってきたテクニックでしょうか?
それとも信頼出来る先生の言葉でしょうか?
特別な存在の人が支えになる場合もあります。

生徒さんが歌う時に私は必ずお願いしていることがあります。

『人の前で歌う時に決してテクニックを考えないこと』そして、ある感情を持って歌うこと

人間は自分一人で歌っている時と、人を前にして歌っている時では明らかに違った体の反応をします。
一人で歌っている時、仮にそれが上手く歌えている時であれば、そこには『満足』が存在します。
人を前にして歌う時、いくら直前までは上手く歌えていたとしても、そこには満足ではなく、「上手く歌えるだろうか?」という『不安』が満足にすり替わって存在し始めます。

ジュリアーノ先生はレッスン時に私が不安げな無機的な声を出すと「Seiya   何が不安なんだ? お前は声もテクニックもある。でもそこに不安が存在したら、声もテクニックも何の意味もなくなるんだ!」とよく激怒されました。
そして発声のテクニックで最も重要な言葉を付け加える事を決して忘れませんでした。
愚かな私は、自分の生徒にはしつこい程この言葉を繰り返し浴びせているのに、自分が歌う時には他の事で頭が一杯で、つい忘れてしまい、不安定な声を出してしまう事が今だに多くあります。

" 幸せな気持ち(felice)で満足して(contento)歌うこと"

人前で上手く歌えなかった時、そしていくら考えてもその原因が見つからなかった時、
自問自答してみて下さい。きっと答えが見つかる筈です。

「自分は自分の声を信じて満足して歌えていたか?」

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2014年12月11日木曜日

レッスン室の音響について

声楽家を志す学生が、日々の練習で使う音楽学校の練習室をご存知でしょうか?
二、三畳ほどの空間にアップライトピアノが一台置かれており、残った一、二畳ほどの空間の中で学生は日々発声練習を行っています。
私はかねてから、学校が声楽の練習にこのような狭い練習室を使用させる事に疑問を持ち続けていました。
学校によっては練習室の使用料に金額を上乗せすれば、広い部屋を貸し出してくれるところもありますが、経済的負担から、ほとんどの学生は狭い練習室の中で練習をしています。その結果がもたらすのは「練習室の中でだけ存在感のある声」いわゆる "傍鳴りの声" の完成に他なりません。

私が学生だった時、あるプロ歌手のお宅にお邪魔し、スタジオのように広く豪華な練習室に驚かされた事がありました。当時自分が住んでいたボロアパートでは声出しも出来なかった為、学校の狭い練習室が私の "声を作る場"でした。まだ声楽の勉強を始めて間もなかったにも拘らず、「こういった環境で声も将来も決まるのかなあ〜」などと漠然とした不安を感じた事を思い出します。

今考えてみると、実家から通っていた学生は殆ど学校の練習室を使っていなかったように思います。恐らく彼らの家には防音の施された大きな部屋があったのでしょう。
声楽の場合、良い先生に巡り合える事と同様に、練習室の環境は非常に重要で、組み立て式防音室の狭小空間や、狭い練習室の中では大劇場で必要になる頭声の感覚をマスターする事が極めて難しくなってしまいます。ある程度の広さがあり、残響が多すぎない部屋の方が正しい声のポジションを掴むには絶対に有利なのです。

狭小空間で練習するくらいならば、私はカラオケボックスが安く使える時間帯に行って練習する事をお勧めします。下手に防音付きの部屋を借りるより安く済み、会社勤めの人なら仕事帰りに寄って発声をする事で声を磨き上げる事が出来ます。そうやって努力を続けた人達がオーディションやコンクールに挑めるような環境が実現出来れば、日本の声楽を取り巻く環境はもっと盛り上がっていくのではないでしょうか。
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2014年12月4日木曜日

ホールとレッスン室で歌う感覚の違い

本番を前にホールで練習する事は非常に重要な事です。
普段練習している狭い防音室や練習室で確認出来る響きや骨伝導を通した聞こえ方は、ホールでは全く異なる感覚で自分には聴こえて来るからです。

一般的に、一個人がホールで歌えるのは本番や合わせの時ぐらいで、場合によっては、合わせも防音室で行われることが多いので、本番で音響の異なったホールの感覚が掴めた時は、既に一曲歌い終えていたという事になり、舞台慣れしていない人にとってはこういった状況で本番を迎える事が相当なプレッシャーを生むことに繋がる可能性があります。

年間を通してホールで歌う機会の多い歌手であれば問題はありませんが、例えプロとして活動している声楽家であっても、その活動の中心となる場所が音楽ホールではない場合、定期的にホールを借りて練習する事は非常に重要な事です。

耳の肥えたクラッシックファンはオーケストラの録音を聴けば、どこの国のオーケストラの演奏か分かるといいますが、オーケストラの音色が作られる要因の一つに「どのような練習場所で普段の練習がなされているか?」という、環境要因があります。
歌劇場専属のオーケストラであれば、劇場で練習する時間が多いので、団員はそこでの反響音を聴いて、自分と楽器との奏法上のバランスを取ります。
例え海外での引越し公演で練習会場が変わっても、普段練習している時の楽器とのバランスは体に染み付いているので、奏法が練習会場の音響に影響されることがないのです。

声楽の場合、自分の身体を楽器にするという特別な使い方が、自分に聴こえる声と実際に外で聴こえる声との差異を生むので、楽器演奏者以上の配慮が必要になるのです。
レッスン室において自分の指針としているポジションやその他の感覚が、そのままホールで通用する事は、初心者や独学で勉強した人の場合、99パーセント無いと言っても過言ではありません。
ホールの最上階に一番奥まで良く響く声、イタリアで言われる"テアトラーレな声"とは観客の耳元でバイブレーションを感じさせるような周波数が含まれた声で、練習室や狭い防音室での声がいくら巨大であっても、全くそれとは関連性の無い要素で作られたものなのです。

練習やレッスンを終えて部屋を出た時、喉に疲れが無く、爽快な開放感を感じられたとすれば、その練習は恐らく正しく行われており、練習室を出た先が "どこでもドア" を経て舞台の下手に繋がっていても安心して歌える筈です。

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