2014年11月8日土曜日

ゴールが見えるということ

体力作りの為に、時々近くの市民プールに行って泳ぐ事にしている。
10年前には、どんなに死に物狂いで頑張っても500メートルしか泳ぐことが出来なかったが、最近では2キロを泳いでも、全く疲れないようになった。
時々、逆三角形体型の学生とおぼしきスイマーが猛スピードで追い抜いていくのを見て、対抗意識がメラメラと芽生えそうになるが、そういった人種は遠い先祖が魚類だったのだと思うようにし、ひたすらマイペースで泳ぐ事にしている。

距離を少しずつ伸ばしていく積み重ねによって、2キロの遠泳が可能になったが、もう一つ、息継ぎをしないで25メートルが泳げるようになった事もちょっとした自慢だ。
(v^_^)v
肺活量は人並み以下の自分が、これを達成するのは難しいとずっと思っていたが、ちょっとしたコツを掴むことによって、いとも容易く達成してしまったのだ。
そのコツは

"ゴールを見続けること"

それまで、真下を見続けながら泳いでいたのを、15メートルを過ぎた辺りから、前方の水面下に見える25メートルのラインを見続ける様にしたところ、精神的な余裕が生まれ、まるで酸素の予備タンクが備わったかのように息が長持ちするようになり、ゴール迄の腕の力の入れ具合や、水中で息を吐く割合などが自ずと理解出来るようになった。
ホームページで解説しているように、人間は明確な目標を与えると、それを確実にやり遂げようとする本能的な仕組みを持っている。
私の父は生前、76歳で癌が見つかり、「親族で76歳を超えた者はいないので、自分は77歳迄は何としても生きる」と私に話し、77歳の誕生日を迎えて数日後に息を引き取った。
目標がはっきりと見えなかったり、思い描けないと、その目標を達成することは極めて難しくなる。

声楽のレッスンにおいて、ゴールに相当する『理想の声』が出せるようになるには、
 "理想の声が出せた時の自分" がはっきりとイメージ出来ていなければならない。
勘違いしてはならないのは、"理想の声を思い描く" という事では決してないという事だ。
持って生まれた声を磨き上げる事とは、有名歌手の声に近づけるという事ではない。

"ゴールが見える" ということは即ち、そこに到達する可能性を信ずることが出来るということである。これに正しいテクニックが加わって初めて、ゴールへの到達は可能になる。
逆に、いくら正しいテクニックを学んでも、ゴールが見えていない人は、25メートルのラインを目前にして足を着いてしまうのと同じように、目の前にある『理想の声』の存在に気付かず、自分に足りないものを永遠に模索し続ける悪循環から抜け出す事は出来ない。
http://belcanto.jpn.com




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