2015年3月29日日曜日

母音だけで歌ってみる事の重要性と歌詞との関係

レッスンを行っている中で、声のポジションが定まらない人には母音だけで歌って貰う事があります。
子音を含んだ歌詞で歌うよりポジションが安定し、楽に歌えるはずです。
ここで問題となるのが、一旦は良いポジションを掴んでも、歌詞で再び歌って貰うと殆どの人は元の歌い方に戻ってしまうという事です。

古いベルカントのメソードの声楽家が難しいフレーズをいとも簡単に歌ってしまうコツが実はこの "母音だけで歌う感覚" に隠されています。
彼らにとっての歌唱中の意識の置き場はこの "母音" に集中しています。決して "歌詞" という子音を含んだ大きな単位ではないのです。

では、この古いメソードにおいて、歌詞についてのアプローチはどのように考えたら良いのでしょう?

イタリアでのレッスンでジュリアーノ先生は「Niente dramma Niente parole !!」(ドラマも歌詞も考えるな!) と良く注意して下さいました。
日本に帰国してから色々調べてみると「声を発している時に歌詞を考えてはいけない」という極少数派の考えの歌手は総じて母音がはっきりとマスケラのポジションにはまった印象の立体的な声をしていました。
これとは逆に「言葉、歌詞を大切に歌う」という多数派の考えの歌手は母音というより、響きのポジションは一定でも母音のポジションははっきりと定まった印象の声ではありませんでしたが、ドラマが見えるような表現力が感じられました。

発声の理解について、まだ表面的な事に留まっている時期には「高音域が弱いが表現力や演技力がある歌手」、「表現力には多少欠けるが高音域に強く声が良く飛んでいる歌手」などといった漠然とした分類によって歌手の好みは分かれ易いものですが、この直感的な区分けこそが母音を重視しているか歌詞そのものを重視しているかの違いを純粋に示している場合が少なくありません。

日本の声楽教育では初心者にコールユーブンゲンやヴァッカイを音名や歌詞でいきなり歌わせているケースが多くみられます。
初心者だからといって、正しい響きを掴めていないままレッスンを進めてもその結果は声帯障害に繋がることは目に見えています。

母音だけに意識を置いていても自然な歌詞の表現は可能です。でもそれ以前に我々歌手が認識すべき事があります。
観客が「あの歌手の声は歌詞が良く聞き取れた」という感想を抱くのは殆どの場合「母音が聞き取れた」事による錯覚であったということです。
終演後にお客様と歓談する際は「歌詞一つ一つに心を込めて歌いました」と言っておけばどちらも満足して演奏の余韻に浸ることが出来ます。(^o^)


http://tamadeseigaku.com





1 件のコメント:

  1. はじめまして。歌声を動画で聴かせていただきました。素晴らしい美声でした。
    私は、個人的に声楽を楽しむアマチュアなのですが、先生に一つ質問があります。

    パバロッティのアクートと女声(ソプラノ・アルト)との歌唱上の共通点は一言で言うとなんでしょうか?
    お答えいただければ幸いです。もちろん、気が向いたらで結構です。

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