2015年2月20日金曜日

chiuso(キューゾ)を言葉通りに解釈しない

パッサッジョの音域で使われるcoperto(コペルト:覆う)とchiuso(キューゾ:閉める)というイタリア語は非常に混同しやすい単語で、使っているイタリア人の指導者ですら同義語として扱っている例が少なくありません。

日本人指導者もイタリア人の名歌手も同じように『chiuso!!  』と指導をしていますが、同じ単語でも日本人とイタリア人ではテクニックの意味合いが少し異なります。

多くの日本人指導者の解釈でキューゾが意味する所は、aperto(アペルト:喉を開ける)の対義語として位置付けられるもので、パッサッジョの音域を若干喉を閉め気味にして、coperto(コペルト:覆う)ように出していくというものです。
イタリアの指導者が使っている「chiuso  !!」はちょっと意味合いが違います。
もし、「chiuso」という表現を用いるイタリア人指導者の指導を受ける機会に恵まれたら、試しに上のような声の出し方をしてみて下さい。恐らく「Apri la gola !! 喉を開けなさい」と指摘されてしまうことでしょう。

イタリア人の指導者にとってchiusoが意味する所は『閉める』感覚では無く、『喉を開けながら覆う』感覚に近いのです。
日本人が同じようにこの感覚で声を出そうとしても、日本語の低いピッチがネックとなり、顎に力が入り、響きが口の中でブロックされてしまいます。イタリア人のように余計な力を顎付近に及ぼさず、スムーズにこの音域を頭声としてクリアーする事が出来ないのです。

この点を克服するには何よりイタリア語の正しいピッチとポジションをつかむことが重要で、マンツーマンでの慎重な見極めが必要になるのです。
独学での勉強ではこの点が曖昧になってしまい、結局、発声器官の各部に無理な力を加える結果に終わってしまいます。
上手くこの音域をクリアー出来ないので『閉じる』『開ける』の2つの方法論が常に対峙したままになっているのです。

塩の辛さ、砂糖の甘さはいくら言葉で説明しても理解出来ませんが、なめてみれば誰でもすぐに理解出来ます。「習うより慣れよ」です。

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2015年2月14日土曜日

自分の声に合った曲を選ぶ弊害

タイトルをご覧になって遂に頭がおかしくなったか? と思われるかもしれませんが、あながち全くのデタラメでもないだろうと私なりに解釈している事です。

一般的に初心者が曲を選ぶ時、まず自分の声質に合った曲を選びます。声質が軽い、重いの基準がそこには存在します。
選んだ曲が一度も聴いた事が無い、全くの初見であれば何も問題は有りません。
もし、選んだその曲を過去に一度でも聴いた事が有り、その印象で選曲したのであれば、一つ注意しなくてはならないことがあります。

『その曲が軽い、重いといった先入観を持たないで歌う』という事です。

CDや映像で聴いたり見たりして受けたイメージは、必ず本人の歌の中に現れます。
つまり、一つ一つの音節を正しい方法で響かせる事より、イメージで声を作り上げることが先行してしまう危険性があるのです。
本人が模倣している感覚は無くても、 潜在意識は確実にその影響を受けており、知らず知らず本来のフォームから外れてしまう事が多いのです。

軽い声質のソプラノが軽い曲を選択した時、そのままモデルにした歌い方をイメージして歌ってしまうと、喉開けが中途半端な状態になり、小手先の軽さ、白い声、浅い声になりがちです。
また、重い声のテノールが重い曲を選択した時、同じようにモデル化されたイメージによって声を押してしまい易く、抜けの良い高音域を出すのが難しくなります。

このような症状の生徒さんには、一時的に声質の重い人には軽い曲、軽い声質の人には重い曲を歌ってもらう事があります。
この試みはあくまで一時的に終わらせる事が前提ですが、非常に大きな効果が出てきます。
軽い声の生徒さんには深い発音が伴うようになり、重い声の生徒さんはイタリア語の正しい声のポジションが掴み易くなります。

日本人の声種を決める(重い軽いの)基準は西欧に比べて重めになる傾向があります。
日本ではリリコやリリコスピントとして歌ってきた歌い手が留学先の先生に「あなたの声はリリコレッジェーロです」と言い渡されるようなケースは非常に多いのです。

選曲はくれぐれも先入観を持たず、世界中に一つしかない本来の自分の声を尊重することが何よりも大切です。

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