2014年10月13日月曜日

声の監視者と心の監視者

イタリアで師事していたジュリアーノ先生の門下生が近くに住んでいると知り、連絡を取って約10年ぶりに再会した。昔話や先生のメソードの話で盛り上がり、共通したメソードの理解者が近くにも居ることに、大きな幸せを感じた。
最近、ある先生から「同じ声への価値観を持っている人に、時々声を聴いてもらうことは絶対に必要な事」とアドヴァイスを頂いていた所だったので、自分にとっては正に渡りに船、嬉しい出会いだった。

自分が常日頃思っていたのと同じように、ジュリアーノ先生のメソードに一度接してしまうと、テクニックや曲の解釈の話だけしかしてくれない日本の先生に、どうしても物足りなさを感じてしまい、新しい先生を見つけられないでいるという。


声の最適な監視者は、常に声楽教師であるとは限らない。
ある歌手にとっては、声楽に関しては素人の妻や亭主が、自分の声の状態を一番理d解出来る、最適な監視者である場合があるし、声楽家の夫婦であっても、お互いの声のことについては、一切口出しをしない決まりを設けたりしている場合もある。声の監視者の役割において、最も重要な事は「出てきた声が良いか、悪いかを判断出来る耳を持っているか」であると思う。出来れば、良い声にする為の方法論を持ち合わせているに越したことはないが、兎に角、良い耳を持っていることは必要不可欠だ。

では、声楽教師に求められる真の資質とは何なのか?
それは、「声の監視者であると同時に、心の監視者でもあること」だと思う。
「外からは見えない、その歌手がどういう心理や、想像を心に抱いて歌っているか」を読み解き、的確にアドヴァイス出来る能力だと思う。
ジュリアーノ先生が声楽の指導者として唯一無二の存在であった理由は正にこの部分にある。生徒の心の内を読み取る、あの鋭い指摘があってこそ、生徒は『本物の歌』に求められる、隠し事の無い、裸の心の状態である事が、如何に難しく、又、如何に価値のある事であるかを学び、それまでの勉強の仕方の過ちに、気付かされたのだ。

今日も先生が言っていた決まり文句「高い!狭い!明るい!小さい!なめらか!外!幸せ!満足!」を胸に、発声練習をすることにしよう。


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