2014年10月20日月曜日

「ザ・テノール 真実の物語」を観て思ったこと

現在、公開中の映画「ザ・テノール 真実の物語」を観に行った。原題が「ザ・テノール リリコスピント」となっているのを見れば明らかなように、かなりディテールにこだわりが感じられる、本格的なオペラ映画だった。日韓合作との事だが、監督や主要スタッフは、ほとんどが韓国人のようで、日本人による作品とは違った魅力があり、最後までスクリーンから目が離せなかった。

この映画の主人公は、数年前、NHKのドキュメンタリー番組で、声の再生手術を受けるオペラ歌手として取り上げられていた、ベー・チチョルというテノールで、私は留学していた頃、一度だけコンクールで生の声を聴いたことがある。その時歌っていた、アンドレアシェニエの「improvviso」の最初の声が会場に見事に響き渡った瞬間、観客がその声の威力に、静まりかえった光景は今でも鮮明に脳に焼き付いている。
ドイツの歌劇場で大活躍していた彼が、その後、甲状腺癌に侵され、声を失っていく過程は見ていて、とても辛かった。周囲が期待する中、歌う本人だけが喉の異変に気付き、舞台開始の時間が刻々と迫ってくる恐怖感は、同じテノールならきっと共感出来るはずである。

今、ヨーロッパのオペラハウスでは、韓国人歌手を抜きにしたキャスティングは考えられないと言われるほど、彼らの実力は認められている。国際コンクールで上位を占めるのは常に韓国人歌手であり、留学生の数も半端ではない。
日本の聴衆は、同じ東洋人として彼らを甘く見ている為なのか、有名歌劇場の引っ越し公演などで、主役の西洋人歌手が急病などの理由で韓国人歌手に変更になったりすると、「金返せ!」などと声を荒げる人も居るようだが、オペラの本場、ヨーロッパで認められている彼らの声は、西洋人と比べても全く遜色のない音色とテクニックの正確さを兼ね備えており、日本人の数段上を行っている事は明らかだ。時には、本来予定されていた西洋人歌手よりも演技、声の実力ともに上回る事さえある。


映画の中で、彼が日本人のインタビュアーの「どうしてオペラ歌手になろうと思ったのですか?」という質問に、暫く間を置いてから、「オペラ歌手とは、なりたくてなれる職業ではありません。なんと言うか…神様が自分だけに与えてくれた…」と答えた事に、日本人の音楽関係者がドン引きしているシーンが描かれているが、こういった感覚の差に日本が韓国に大きく水を空けられている理由が隠されていると思う。

実際、私がイタリアで出会った韓国人歌手には、ボクシングの選手、軍隊の通信士等、音楽とは畑違いの出身者が結構おり、皆『神から与えられた宝』を磨いて、一旗上げるためにイタリアに勉強に来ていた。合唱がきっかけで音大に入り、オペラを勉強する様になったという、日本では一般的な道を歩んでいる人も確かに多いが、こういった背景が競争力を高めて、声のクオリティーが高い人だけが生き残れるという、本来あるべき土台が作られている。

イタリアでは今でも、コックや警察官出身の歌手がいたりするが、日本でもそういった環境が許容されれば、歌手のクオリティーが上がり、オペラの人気を下押しする事に繋がると思う。「昨日まで蕎麦屋の出前だった人が新国に主役デビューした‼︎」などといったニュースを早く聞きたいものだ。
http://belcanto.jpn.com




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