tag:blogger.com,1999:blog-82415333093958161982024-02-09T03:25:58.602+09:00声、その神秘と発声についてのブログ東京都多摩市にて伝統的ベルカント唱法の指導を行っています。パッサッジョやアクートなどでお悩みの方、専門技術を身に付けたい方の為の教室として、評価を頂いております。このブログでは日々、声について思う事を思うままに綴っています。
詳しい情報はホームページで
http://tamadeseigaku.comAnonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.comBlogger44125tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-9924498197223839892015-03-29T23:59:00.002+09:002015-03-30T00:13:47.424+09:00母音だけで歌ってみる事の重要性と歌詞との関係レッスンを行っている中で、声のポジションが定まらない人には母音だけで歌って貰う事があります。<br />
子音を含んだ歌詞で歌うよりポジションが安定し、楽に歌えるはずです。<br />
ここで問題となるのが、一旦は良いポジションを掴んでも、歌詞で再び歌って貰うと殆どの人は元の歌い方に戻ってしまうという事です。<br />
<br />
古いベルカントのメソードの声楽家が難しいフレーズをいとも簡単に歌ってしまうコツが実はこの "母音だけで歌う感覚" に隠されています。<br />
彼らにとっての歌唱中の意識の置き場はこの "母音" に集中しています。決して "歌詞" という子音を含んだ大きな単位ではないのです。<br />
<br />
では、この古いメソードにおいて、歌詞についてのアプローチはどのように考えたら良いのでしょう?<br />
<br />
イタリアでのレッスンでジュリアーノ先生は「Niente dramma Niente parole !!」(ドラマも歌詞も考えるな!) と良く注意して下さいました。<br />
日本に帰国してから色々調べてみると「声を発している時に歌詞を考えてはいけない」という極少数派の考えの歌手は総じて母音がはっきりとマスケラのポジションにはまった印象の立体的な声をしていました。<br />
これとは逆に「言葉、歌詞を大切に歌う」という多数派の考えの歌手は母音というより、響きのポジションは一定でも母音のポジションははっきりと定まった印象の声ではありませんでしたが、ドラマが見えるような表現力が感じられました。<br />
<br />
発声の理解について、まだ表面的な事に留まっている時期には「高音域が弱いが表現力や演技力がある歌手」、「表現力には多少欠けるが高音域に強く声が良く飛んでいる歌手」などといった漠然とした分類によって歌手の好みは分かれ易いものですが、この直感的な区分けこそが母音を重視しているか歌詞そのものを重視しているかの違いを純粋に示している場合が少なくありません。<br />
<br />
日本の声楽教育では初心者にコールユーブンゲンやヴァッカイを音名や歌詞でいきなり歌わせているケースが多くみられます。<br />
初心者だからといって、正しい響きを掴めていないままレッスンを進めてもその結果は声帯障害に繋がることは目に見えています。<br />
<br />
母音だけに意識を置いていても自然な歌詞の表現は可能です。でもそれ以前に我々歌手が認識すべき事があります。<br />
観客が「あの歌手の声は歌詞が良く聞き取れた」という感想を抱くのは殆どの場合「母音が聞き取れた」事による錯覚であったということです。<br />
終演後にお客様と歓談する際は「歌詞一つ一つに心を込めて歌いました」と言っておけばどちらも満足して演奏の余韻に浸ることが出来ます。(^o^)<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-69471318685929470332015-03-17T09:28:00.000+09:002015-03-18T09:23:10.778+09:00喉が温まった感覚とハミングのポジションハミングの練習を軽く考えている人は意外と多いようです。<br />
レッスンで「ハミングはどのように教わりましたか?」と質問しても、その方法を習った事のある人は殆どいません。<br />
<br />
ハミングで発した響きが正しいポジションに共鳴していれば、その後に続く実際に声を発するレッスンは順調に進んでいきます。<br />
正しいハミングの響きが掴めていないのに声をむやみに出させても声を疲弊させ、習得を遅らせるだけです。<br />
<br />
今迄私がレッスンをする中で「ハミング(Humming)してみて下さい」とお願いした所、殆ど全ての人が喉を閉めた状態で小鼻に抜くような音で響かせていました。人によっては息を飲む様であったり、響きが全く無いまま単に『N』の音を出しているだけの場合もありました。<br />
<br />
歴代の偉大な歌手はハミングによる練習の価値を大いに認めていると言われています。<br />
まだイタリアに留学する前の20代後半の頃迄、私はこの意味が正直あまり良く理解出来ていませんでした。<br />
例えば本番で歌う前、発声練習をある程度行い、喉が温まった感覚が無いと安心して声を出すことができず、発声練習を全く行わないで適当なハミングだけを行って直ぐに舞台に出て行く歌手が不思議でなりませんでした。<br />
<br />
『喉が温まった感覚』とは紛れもなく、喉に負担を与え続けた結果です。<br />
正しいハミングのポジションから外れたポジションで歌った時に感じる症状であり、声が喉の何処かでブロックされている証なのです。<br />
起床時以外で『喉が温まっていない』と感じるのは緊張や不安で喉が閉まっている状態の時が多く、その為に発声練習を行って『喉が温まった』と感じるのは、間違ったポジションか喉が完全に開いていない状態で声を出し続けたからなのです。<br />
<br />
本番前は楽屋で発声練習を黙々と行うより、軽いお喋りでもしてリラックスした後、正しいハミングでポジションを確保する練習をした方が本番では遥かに良い結果を生みます。入念な発声練習を行うのは自宅で声を目覚めさせる時と、本番迄にうたた寝をしてしまった時ぐらいで、直前の発声練習で無駄に声を消費するより直前のハミングで声の通路を確保してやれば充分なのです。<br />
<br />
感覚や経験に頼るのではなく、歴代の名歌手が認めている方法を尊重する事は非常に重要な事だと私は思います。<br />
一番騙しやすい人間は何時でも自分自身です。<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-48054238379312766122015-03-09T00:30:00.001+09:002015-03-11T19:52:41.870+09:00頭声と胸声、falsettoとmezzavoce「頭声」「胸声」という呼称が相応しいものなのか疑問ですが、声は大きく分けるとこの2つに分類されます。<br />
頭声とファルセットを同一に扱っている教本を時々見かけますが、これは大きな間違いです。<br />
<br />
ファルセット(falsetto)のfalseとは「偽物の」という意味ですが、単独では弱々しいものでしかないこの意識を、正しい共鳴のポジションに作用させる事が出来るようになると、喉に負担のない声を会得することが出来ます。この声こそがベルカント唱法で言う本当の頭声で、響きの良いホールで歌えば、胸声のような量感を伴った声として客席に届くように出来ているのです。正しい頭声のポジションで作られた声は鼻をつまんでも音色が殆ど変わりません。<br />
<br />
一方、mezzavoceのmezzaとは(半分の)という意味で、声を100パーセント鳴らすのではなく、息を半分混ぜるような感覚で弱声のニュアンスを出すテクニックとされています。<br />
男声、特にテノールではこのfalsettoとmezzavoceの違いについて良く議論が交わされますが、聴いているだけでその違いを判別するにはかなりの年季が必要です。<br />
<br />
私もイタリアで古いベルカント唱法に出会う迄は、このmezzavoceのテクニックがどう行われているのか、どうしても理解することが出来ませんでした。<br />
実際にmezzavoceと思しき声を出している一流歌手がこの種のテクニックについてコメントしているのを聞くと、ファルセットやファルセットーネという単語が頻繁に使われており、彼らの感覚の中には「息を半分混ぜるような感覚」が無いことを窺い知ることが出来ます。頭声の感覚をつかめていない歌手にはこの感覚は決して理解出来ない筈です。<br />
<br />
私のレッスンではこの頭声を掴む為のポジションとピッチは吸気の時点で確保するように指導します。<br />
最初の内はどの生徒さんも戸惑われますが、一旦身に付けることができると、それまでの声の出し方が如何に喉に負担を与えていたかを実感するようで、「末長きお付き合いを!!」と依頼されます。<br />
私が生きている意味を最も感じられる瞬間です。(^○^)<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-72818999011847104922015-02-20T01:00:00.000+09:002015-02-20T01:09:20.393+09:00chiuso(キューゾ)を言葉通りに解釈しないパッサッジョの音域で使われるcoperto(コペルト:覆う)とchiuso(キューゾ:閉める)というイタリア語は非常に混同しやすい単語で、使っているイタリア人の指導者ですら同義語として扱っている例が少なくありません。<br />
<br />
日本人指導者もイタリア人の名歌手も同じように『chiuso!! 』と指導をしていますが、同じ単語でも日本人とイタリア人ではテクニックの意味合いが少し異なります。<br />
<br />
多くの日本人指導者の解釈でキューゾが意味する所は、aperto(アペルト:喉を開ける)の対義語として位置付けられるもので、パッサッジョの音域を若干喉を閉め気味にして、coperto(コペルト:覆う)ように出していくというものです。<br />
イタリアの指導者が使っている「chiuso !!」はちょっと意味合いが違います。<br />
もし、「chiuso」という表現を用いるイタリア人指導者の指導を受ける機会に恵まれたら、試しに上のような声の出し方をしてみて下さい。恐らく「Apri la gola !! 喉を開けなさい」と指摘されてしまうことでしょう。<br />
<br />
イタリア人の指導者にとってchiusoが意味する所は『閉める』感覚では無く、『喉を開けながら覆う』感覚に近いのです。<br />
日本人が同じようにこの感覚で声を出そうとしても、日本語の低いピッチがネックとなり、顎に力が入り、響きが口の中でブロックされてしまいます。イタリア人のように余計な力を顎付近に及ぼさず、スムーズにこの音域を頭声としてクリアーする事が出来ないのです。<br />
<br />
この点を克服するには何よりイタリア語の正しいピッチとポジションをつかむことが重要で、マンツーマンでの慎重な見極めが必要になるのです。<br />
独学での勉強ではこの点が曖昧になってしまい、結局、発声器官の各部に無理な力を加える結果に終わってしまいます。<br />
上手くこの音域をクリアー出来ないので『閉じる』『開ける』の2つの方法論が常に対峙したままになっているのです。<br />
<br />
塩の辛さ、砂糖の甘さはいくら言葉で説明しても理解出来ませんが、なめてみれば誰でもすぐに理解出来ます。「習うより慣れよ」です。<br />
<br />
<a href="http://tamadeseigaku.com/">http://tamadeseigaku.com</a>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-61712322799576065482015-02-14T12:49:00.000+09:002015-02-15T00:56:51.196+09:00自分の声に合った曲を選ぶ弊害タイトルをご覧になって遂に頭がおかしくなったか? と思われるかもしれませんが、あながち全くのデタラメでもないだろうと私なりに解釈している事です。<br />
<br />
一般的に初心者が曲を選ぶ時、まず自分の声質に合った曲を選びます。声質が軽い、重いの基準がそこには存在します。<br />
選んだ曲が一度も聴いた事が無い、全くの初見であれば何も問題は有りません。<br />
もし、選んだその曲を過去に一度でも聴いた事が有り、その印象で選曲したのであれば、一つ注意しなくてはならないことがあります。<br />
<br />
『その曲が軽い、重いといった先入観を持たないで歌う』という事です。<br />
<br />
CDや映像で聴いたり見たりして受けたイメージは、必ず本人の歌の中に現れます。<br />
つまり、一つ一つの音節を正しい方法で響かせる事より、イメージで声を作り上げることが先行してしまう危険性があるのです。<br />
本人が模倣している感覚は無くても、 潜在意識は確実にその影響を受けており、知らず知らず本来のフォームから外れてしまう事が多いのです。<br />
<br />
軽い声質のソプラノが軽い曲を選択した時、そのままモデルにした歌い方をイメージして歌ってしまうと、喉開けが中途半端な状態になり、小手先の軽さ、白い声、浅い声になりがちです。<br />
また、重い声のテノールが重い曲を選択した時、同じようにモデル化されたイメージによって声を押してしまい易く、抜けの良い高音域を出すのが難しくなります。<br />
<br />
このような症状の生徒さんには、一時的に声質の重い人には軽い曲、軽い声質の人には重い曲を歌ってもらう事があります。<br />
この試みはあくまで一時的に終わらせる事が前提ですが、非常に大きな効果が出てきます。<br />
軽い声の生徒さんには深い発音が伴うようになり、重い声の生徒さんはイタリア語の正しい声のポジションが掴み易くなります。<br />
<br />
日本人の声種を決める(重い軽いの)基準は西欧に比べて重めになる傾向があります。<br />
日本ではリリコやリリコスピントとして歌ってきた歌い手が留学先の先生に「あなたの声はリリコレッジェーロです」と言い渡されるようなケースは非常に多いのです。<br />
<br />
選曲はくれぐれも先入観を持たず、世界中に一つしかない本来の自分の声を尊重することが何よりも大切です。<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-56625307644601377952015-01-30T11:59:00.000+09:002015-02-14T12:53:40.902+09:00頭と胴体の前後関係息が上手く吸えても、その息が声と結び付けられている実感を持てる人は大変少ないと思います。<br />
この実感を持てない人に共通しているのは、「発音する」という意識が「響かせる」という意識を上回っている事です。但し、この事を短時間で克服するのは不可能です。<br />
正しい頭声の響きをマスターするには正しいテクニックは勿論ですが、「自分に聴こえる声の価値観」を根本的に変える必要があり、この理解にも非常に時間を要するからです。このことに関してはレッスンで学んで頂く以外ありません。<br />
<br />
もうひとつ息と響きを結び付けるために重要で、しかも簡単に実行出来る事があります。<br />
"胴体に乗っている頭の前後関係を調節する" ということです。<br />
この位置関係により、自分では気が付かない『息の通り道』が確保され、息が響きを作ることに結び付いている感覚を実感出来る場合があります。<br />
姿勢が猫背になっていたり、顎を引き過ぎていると気道を始めとする息の通り道が遮断され、軽く明るい響きにならないのです。<br />
<br />
試しに楽譜を見る角度や指導者を見る角度に気を付けてみて下さい。<br />
可愛くて若い女性やイケメンの指導者の前で自分を良く見せようと思うあまり、必要以上に胸を張っていたり、見惚れてしまい顎が前に出るような格好で歌っていないでしょうか?<br />
<br />
残念ながら私の生徒さんには一人としてそのような格好で歌っている人がいません。(-。-;<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-72544016623587268852015-01-27T09:19:00.000+09:002015-02-14T12:55:14.647+09:00重力は声に影響を与えるか?歌う時、音取りをしている時、どのような姿勢をとると楽でしょうか?<br />
人によって感覚は様々ですが、殆どの人は良い姿勢で立った状態が歌い易いと感じるでしょう。<br />
<br />
声楽の呼吸法は決して特別なものではありませんが、何かを意識的に考えたり、緊張していると睡眠時に行っているような自然な呼吸は行えません。<br />
立って歌っている時も、横になっている睡眠時も身体が一直線に伸びた状態である事に変わりはありませんが、重力に対して横隔膜の動きが影響を受けるか受けないかという点で大きな違いがあります。<br />
<br />
お腹の前を硬くしてしまったり、横隔膜を真下に押し付けてしまい、自然な呼吸を妨げてしまうもう一つの原因としてこの重力の影響があります。横になって呼吸してみると立っている時より横隔膜がスムーズに動いているのを実感できる筈です。<br />
<br />
特殊な器具を使い、足を固定した状態で逆さまにされると、重力によって頭の方向へ上がって来た横隔膜自体の重みを感じることが出来るので、その力に反した横隔膜を元の位置にリフトアップして戻す吸気力が必要になります。<br />
実際に立って歌う時、『横隔膜を下げる為』にこれとほぼ同じ力を与えている人は皆お腹を固くしてしまう為、スムーズな腹式呼吸が出来ないのです。<br />
<br />
初心者が自然な腹式呼吸を身に付ける際、吸い方などを意識的に行おうとするのは禁物です。<br />
最も自然で間違えの無い感覚は、肺に残された全ての息を吐き切り、脱力した瞬間に自分の体が教えてくれます。<br />
<br />
自然な流れに逆って酸欠にならないよう、くれぐれもご注意頂くようお願い致します m(._.)m<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-54904122708304241132015-01-22T09:04:00.000+09:002015-02-14T12:57:03.361+09:00腹式呼吸が出来ない人は存在しないうたうことを学ぶ会「幸せになるための声」の第一回目のグループレッスンを行いました。テーマは 『意識しないで息を支える腹式呼吸法』<br />
<br />
50から70代の参加者に「睡眠時には誰でも行っている呼吸法なので、特別な意識や力は加えないで下さいm(._.)m 」と前置きはしたのですが、皆さん思うようには出来ません。<br />
<br />
寝ている時は誰でも出来ている事が、何故歌う時には出来なくなるのでしょうか?<br />
その理由を見つけるために睡眠時の環境を思い返してみて下さい。<br />
<br />
①誰にも気を使わないでリラックスしている<br />
②目を閉じているので誰の視線も感じない<br />
③何も考えていない<br />
<br />
椅子に座ったまま無理な姿勢のまま寝ていても、電車のつり革につかまったまま寝ていても睡眠時には腹式呼吸は完璧に機能しているのです。<br />
逆に人の目を気にしたり、正しい姿勢や横隔膜への力の加え方などを意識してしまうと、かえって自然な呼吸バランスは妨げられてしまいます。一流の歌手は踊りながらでも腕立て伏せをしながらでもアリアを歌う事が出来、歌う時の姿勢に声が殆ど影響されません。<br />
<br />
「先生!!息の仕方が分かりません !!(((o(*゚▽゚*)o)))」 と切迫感溢れる表情で懇願される事が時々ありますが、私はこう答えるようにしています<br />
<br />
「寝る方法を教えてくれた先生に相談してみて下さい」<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-29388910573100310882015-01-22T07:37:00.001+09:002015-02-14T12:58:00.051+09:00うたうことを学ぶ会 ”幸せになるための声” 発足のお知らせわたくし宗像が講師を務める声楽教室の教室名として使用しておりました ”幸せになるための声” は近日 うたうことを学ぶ会 として独立させ、それに伴い、現在のホームページも会の紹介を中心にしたものに変更していくことに致しました。声楽教室専用のホームページは近日中に別にアップさせて頂きます。<br />
<br />
<br />
新しいホームページ名は「宗像声楽教室」となり、今よりコンパクト化された内容になります。メソードについての詳しい内容をお知りになりたい方は、今迄通り「幸せになるための声」をご参照頂ければと思います。<br />
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<br />
うたうことを学ぶ会 ”幸せになるための声” は「歌った後に喉が疲れる」、「高い音が出ない」といった基本的な声の悩みをお持ちの方々を対象にした、声楽の基本的なテクニックを学ぶためのグループレッスンの会です。<br />
私の個人レッスンでは通常12回でおおよその基礎を身に付けて頂いておりますが、当会のレッスンではおおよそ3倍の回数をかけて同じレベルに達することを目標にします<br />
「個人レッスンは敷居が高すぎる」、「一人ではなく、みんなで楽しく学びたい」という方々が週に一回集まり、発声について真剣に学んでいらっしゃいます。ご興味のある方はホームページのアクセス・コンタクトよりお申し込み下さい。<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-20285280848786513052015-01-06T10:45:00.000+09:002015-02-14T13:01:07.310+09:00演奏の本音の感想を知る術コンサートが終わって、お客様と歓談している中で聞こえて来る賞賛の感想ほど当てにならないものはありません。(でもお客様のお心遣いには感謝しているのですv(^_^v)♪)<br />
最も的確で辛辣な感想を抱いたお客様が終演後、演奏者本人にその感想を伝えに来ることは殆ど無いからです。<br />
<br />
自分が最も信頼できる耳を持ったお客様の感想は後日、演奏者本人から電話などで積極的に求める姿勢が大切です。演奏者が終演後、笑顔でお客様をお見送りしている中で批判めいた本音の感想を伝える事はスマートでなく、場の雰囲気を壊すだけだということを誰もが知っています。当たり前の事ですが演奏会の場ではそういった空気は歓迎されないのです。<br />
<br />
演奏家は経験を積むに従い、本音の意見を聞こうとする姿勢を次第に失っていき、賞賛の声だけに耳を傾ける傾向が強くなっていきます。その結果は客観的に自分の演奏を聴く術を失った事に等しく、演奏上の欠点を発見したり、向上出来る可能性を自ら閉ざしてしまう事に繋がり、良いことは何一つありません。<br />
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<br /></div>
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私は50歳まで後2年ですが、残念な事に歌を教え始めてから、人から意見される事が殆ど無くなってしまいました。辛辣な意見は例えそれが専門的な見地から見て的外れなものであっても、素直に耳を傾けるべきです。そういった人は良い演奏が出来た時、誰よりも純粋な表現の仕方で喜んでくれ、それが演奏家にとって大きな自信に繋がっていくからです。</div>
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<br /></div>
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信頼できる耳を持った、本音を言ってくれる人は常に孤高の存在です。</div>
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そうでなければ捉え方の誤解で人を傷つけてしまった場合、次回からは本音が言えなくなってしまいます。</div>
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<br /></div>
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コンサートの終演後、そそくさと足早に会場を去ろうとしている方を捕まえて一言お礼を言ってみましょう。帰りの電車やトイレが心配でなければ、その方の一言はその日の演奏を真に物語るものであるか、熟睡していたため裏覚えの記憶であるかのどちらかである筈です。<br />
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ホームページとブログを開設して半年が経過し、稚拙な文章力に恥ずかしさを覚えながらも毎回テーマを考えていく事で自分が今まで考えていたこと、頭で混乱していたことが次第に紐解け、整理されていく事に心地良さを感じられるようになって参りました。<br />
今後共、当サイトにお立ち寄り頂きますよう、宜しくお願い申し上げます。<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-46010322692797840042014-12-27T08:23:00.001+09:002015-02-14T13:03:12.816+09:00イタリア語を話すポジションとは?「イタリア語を話すように歌う」という表現程、ベルカント唱法の真髄をついた言回しは無いのではないでしょうか。<br />
イタリア人が話している様子は今日ではテレビやYouTubeで見ることが出来ますが、彼らの話しているポジションを観察する事は、オペラ歌手が歌っている様子を観察する事より優先して取り組むべき事だと思います。<br />
<br />
「話す発音の仕方と歌う為の発音の仕方は異なる」と「話すように歌う」を混同してしまう方が多いのですが、前者は万国の言語に当てはまる考え方なのに対し、後者はイタリア語を話す発音の仕方ではなく、話すポジションに対する考え方です。<br />
イタリア語を話すように軽く、甲高い感覚で歌う事は他のいかなるテクニックを用いて試行錯誤するより遥かに効率的で、的を得た方法なのです。<br />
<br />
オペラ歌手ではない、一般のイタリア人の話し方はかなり口を横に開く特徴的なもので、この事が彼らの豊かな表情を作る要因の一つになっていますが、日本人のオペラ歌手がこの発音の仕方を真似てしまうと、喉の開き方が不完全な状態になり易く、思うような結果を得ることが出来ません。<br />
我々が学ぶべき事は「その甲高さや母音の発音がどのように声のポジションに影響を与えているか?」という点です。この点を理解する事で喉への負担を大幅に軽減する事が出来、歌う為に必要な最小限の筋力だけで歌えるようになるのです。<br />
<br />
日本のテレビで活躍しているイタリア人の日本語の特徴的な話し方を観察してみて下さい。その話し方で友人に話しかければ「変な人!」の烙印を押されるかもしれませんが、そのまま歌ってみれば「上手いじゃん!!」に変わるかもしれません。(^o^)<br />
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<a href="http://tamadeseigaku.com/">http://tamadeseigaku.com</a>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-76959162577056439342014-12-16T22:00:00.000+09:002014-12-20T00:22:42.368+09:00声を当てるポジションは前か後ろか?声を当てるポジションを前にするか後ろにするかで悩んでいないでしょうか?<br />
日本では「声は奥から回して前で響かせる」と声の道筋を作って発声している人が(特に女声に)非常に多いように感じます。<br />
実際にこのような出し方をしている人の声を間近で聴くと、確かに喉はよく開いており、響きも前に集まっているように感じます。小さなホールで聴いても安定した声と感じさせられる声です。<br />
<br />
舞台が世界に移ると、この印象は大分変わってきます。<br />
欧米や韓国、中国の歌手を聴くと、確かに声を後ろから回しているように喉が開いて、顔の前に響きが集まっているように感じます。一見同じ事をしているように 思える日本人の歌手を同じ舞台で聴くと声質が云々というより、響きが身体から離れきっていない印象をどうしても受けてしまいます。特に男性歌手でこのような出し方をしている人は上の5線の近くの音になると、他の国の歌手とはかけ離れた、全く異質な声を出していると感じざるを得ません。<br />
女性ではこのパッサッジョ付近の音域で男性ほどの不自然さを感じることはありませんが、その事が逆に、外国人歌手との差を歌っている当人に感じにくくさせている要因になっているような気がします。<br />
もっとも、この日本人歌手も日本人だけに囲まれて歌っていれば、そのような印象を聴衆に与えないで、もっと高い評価を得られるのでしょうが・・・・・・・~_~;<br />
<br />
声を当てるポジションの前後関係というのは『結果的に感じる感覚』であって、"当てよう" とするものではありません。<br />
"意識的に" 声を当てる場所は存在してはいけないのです。<br />
結果的に『歯の裏に当たっている』『外で鳴っている』『軟口蓋が上がっていた』といった様々な感覚により前や後ろに感じるからといって、その経路を辿るような出し方をしていたのでは欧米人のようなインパクトのある立体感のある声を出すことは出来ません。<br />
<br />
私はレッスンをしていて「すぐに外!」という表現をよく使うのですが、分析するのが大好きな人は、声の経路を省いたその説明だけでは仲々納得してくれません。<br />
現在主流となっている横隔膜の使い方や喉周りに注視する方法で習われている方々には殆ど理解して頂けない変な自信もあります。(^◇^;)<br />
<br />
「すぐに外!」でなければならない理由を納得して理解してもらうには、本番で思うように歌えなかった時の状態を思い出してもらうのが一番です。<br />
お客様を前にして息や声の伝達経路を確認しながら歌えば必ず声の問題が起こります。<br />
その原因を体調不良や、テクニックの欠陥に結びつける前に絶対に考えなければならないことがあります。<br />
<br />
「テクニックを考えずに感情に委ねて歌えていたか?」<br />
<br />
もし答えがYesならば声は「すぐに外!」だったに違いありません。<br />
逆に、歌った本人がテクニックを考えずに感情だけで歌えたと思っていても、聴いた人がそう感じなかったとしたら、歌い手側に感情以外のテクニックについての何らかの意識が芽生えていた証拠です。<br />
<br />
「すぐに外!」が意味する外とは "身体の外" ではなく、「声のポジションは前か後ろか?」と考える "思考の外" なのです。<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-10932709449527740422014-12-13T17:17:00.002+09:002014-12-13T18:42:31.275+09:00本番の舞台で最も支えになる事ミニコンサート&ミニ発声講座と題した地元密着のイベントを昨日行いました。<br />
前半に私が10曲ほど歌った後、休憩を挟んでベルカント唱法のプレゼンテーションを行い、最後に一番最近に入った生徒さんに一曲歌ってもらいました。<br />
<br />
今回はコンサートが加わった為、前回に比べてかなり多くの参加者の前でのプレゼンテーションになりましたが、興味を持たれた方々は前回と同様に熱心にメモを取られていました。人前でプレゼンをするのはまだ2回目、本当に手探り状態の中、やって良かったと心から思えた瞬間でした。<br />
<br />
ところで、みなさんは本番の舞台で何を心の支えにしていますか?<br />
それまで培ってきたテクニックでしょうか?<br />
それとも信頼出来る先生の言葉でしょうか?<br />
特別な存在の人が支えになる場合もあります。<br />
<br />
生徒さんが歌う時に私は必ずお願いしていることがあります。<br />
<br />
『人の前で歌う時に決してテクニックを考えないこと』そして、ある感情を持って歌うこと<br />
<br />
人間は自分一人で歌っている時と、人を前にして歌っている時では明らかに違った体の反応をします。<br />
一人で歌っている時、仮にそれが上手く歌えている時であれば、そこには『満足』が存在します。<br />
人を前にして歌う時、いくら直前までは上手く歌えていたとしても、そこには満足ではなく、「上手く歌えるだろうか?」という『不安』が満足にすり替わって存在し始めます。<br />
<br />
ジュリアーノ先生はレッスン時に私が不安げな無機的な声を出すと「Seiya 何が不安なんだ? お前は声もテクニックもある。でもそこに不安が存在したら、声もテクニックも何の意味もなくなるんだ!」とよく激怒されました。<br />
そして発声のテクニックで最も重要な言葉を付け加える事を決して忘れませんでした。<br />
愚かな私は、自分の生徒にはしつこい程この言葉を繰り返し浴びせているのに、自分が歌う時には他の事で頭が一杯で、つい忘れてしまい、不安定な声を出してしまう事が今だに多くあります。<br />
<br />
" 幸せな気持ち(felice)で満足して(contento)歌うこと"<br />
<br />
人前で上手く歌えなかった時、そしていくら考えてもその原因が見つからなかった時、<br />
自問自答してみて下さい。きっと答えが見つかる筈です。<br />
<br />
「自分は自分の声を信じて満足して歌えていたか?」<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-63871560838472498402014-12-11T01:12:00.002+09:002014-12-18T10:29:47.198+09:00レッスン室の音響について声楽家を志す学生が、日々の練習で使う音楽学校の練習室をご存知でしょうか?<br />
二、三畳ほどの空間にアップライトピアノが一台置かれており、残った一、二畳ほどの空間の中で学生は日々発声練習を行っています。<br />
私はかねてから、学校が声楽の練習にこのような狭い練習室を使用させる事に疑問を持ち続けていました。<br />
学校によっては練習室の使用料に金額を上乗せすれば、広い部屋を貸し出してくれるところもありますが、経済的負担から、ほとんどの学生は狭い練習室の中で練習をしています。その結果がもたらすのは「練習室の中でだけ存在感のある声」いわゆる "傍鳴りの声" の完成に他なりません。<br />
<br />
私が学生だった時、あるプロ歌手のお宅にお邪魔し、スタジオのように広く豪華な練習室に驚かされた事がありました。当時自分が住んでいたボロアパートでは声出しも出来なかった為、学校の狭い練習室が私の "声を作る場"でした。まだ声楽の勉強を始めて間もなかったにも拘らず、「こういった環境で声も将来も決まるのかなあ〜」などと漠然とした不安を感じた事を思い出します。<br />
<br />
今考えてみると、実家から通っていた学生は殆ど学校の練習室を使っていなかったように思います。恐らく彼らの家には防音の施された大きな部屋があったのでしょう。<br />
声楽の場合、良い先生に巡り合える事と同様に、練習室の環境は非常に重要で、組み立て式防音室の狭小空間や、狭い練習室の中では大劇場で必要になる頭声の感覚をマスターする事が極めて難しくなってしまいます。ある程度の広さがあり、残響が多すぎない部屋の方が正しい声のポジションを掴むには絶対に有利なのです。<br />
<br />
狭小空間で練習するくらいならば、私はカラオケボックスが安く使える時間帯に行って練習する事をお勧めします。下手に防音付きの部屋を借りるより安く済み、会社勤めの人なら仕事帰りに寄って発声をする事で声を磨き上げる事が出来ます。そうやって努力を続けた人達がオーディションやコンクールに挑めるような環境が実現出来れば、日本の声楽を取り巻く環境はもっと盛り上がっていくのではないでしょうか。<br />
<a href="http://belcanto.jpn.com/">http://belcanto.jpn.com</a>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-69272822316165495602014-12-04T13:41:00.000+09:002014-12-04T18:25:24.087+09:00ホールとレッスン室で歌う感覚の違い本番を前にホールで練習する事は非常に重要な事です。<br />
普段練習している狭い防音室や練習室で確認出来る響きや骨伝導を通した聞こえ方は、ホールでは全く異なる感覚で自分には聴こえて来るからです。<br />
<br />
一般的に、一個人がホールで歌えるのは本番や合わせの時ぐらいで、場合によっては、合わせも防音室で行われることが多いので、本番で音響の異なったホールの感覚が掴めた時は、既に一曲歌い終えていたという事になり、舞台慣れしていない人にとってはこういった状況で本番を迎える事が相当なプレッシャーを生むことに繋がる可能性があります。<br />
<br />
年間を通してホールで歌う機会の多い歌手であれば問題はありませんが、例えプロとして活動している声楽家であっても、その活動の中心となる場所が音楽ホールではない場合、定期的にホールを借りて練習する事は非常に重要な事です。<br />
<br />
耳の肥えたクラッシックファンはオーケストラの録音を聴けば、どこの国のオーケストラの演奏か分かるといいますが、オーケストラの音色が作られる要因の一つに「どのような練習場所で普段の練習がなされているか?」という、環境要因があります。<br />
歌劇場専属のオーケストラであれば、劇場で練習する時間が多いので、団員はそこでの反響音を聴いて、自分と楽器との奏法上のバランスを取ります。<br />
例え海外での引越し公演で練習会場が変わっても、普段練習している時の楽器とのバランスは体に染み付いているので、奏法が練習会場の音響に影響されることがないのです。<br />
<br />
声楽の場合、自分の身体を楽器にするという特別な使い方が、自分に聴こえる声と実際に外で聴こえる声との差異を生むので、楽器演奏者以上の配慮が必要になるのです。<br />
レッスン室において自分の指針としているポジションやその他の感覚が、そのままホールで通用する事は、初心者や独学で勉強した人の場合、99パーセント無いと言っても過言ではありません。<br />
ホールの最上階に一番奥まで良く響く声、イタリアで言われる"テアトラーレな声"とは観客の耳元でバイブレーションを感じさせるような周波数が含まれた声で、練習室や狭い防音室での声がいくら巨大であっても、全くそれとは関連性の無い要素で作られたものなのです。<br />
<br />
練習やレッスンを終えて部屋を出た時、喉に疲れが無く、爽快な開放感を感じられたとすれば、その練習は恐らく正しく行われており、練習室を出た先が "どこでもドア" を経て舞台の下手に繋がっていても安心して歌える筈です。<br />
<br />
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<br />
今回は参加者全員が声に悩みを抱える合唱経験者で、非常に真剣に話を聞いて下さり、おかげさまでとても充実した雰囲気の中、話を進める事が出来ました。<br />
<br />
クラッシックの発声とそれ以外のジャンルとの発声の違いや、専門的なベルカント唱法の歴史、発声の秘密などをレクチャーしましたが、参加者の反応の中で一つ意外だったのが「声楽教師と生徒の関係」の説明の中で、非常に強い反応を多くの方が示されたことでした。<br />
<br />
フレデリック・フースラーはその著書『うたうこと』の中で合唱を歌う事の喉への悪影響について触れていますが、合唱団に所属した事で得られるコミュニケーションの楽しさや音楽に関われる喜びは、誰にでも捨てがたい魅力がある事でしょう。<br />
そういった魅力に惹かれて続けていける人に、私が声への影響を云々言うこと自体、的外れである事は充分承知しており、そういった考え方も尊重します。<br />
<br />
今回参加された方々が仰っていたのは、ボイストレーナーの先生を前にすると、専門的な発声方法の難しさと緊張感で委縮してしまい、身体がこわばって声が逆に出にくくなってしまったということでした。<br />
<br />
イタリアで声楽の個人レッスンを受けてまず驚くのは、どんなに有名な先生であっても日本人の先生のように、上から目線で指導をする事がないということです。<br />
これはイタリア人のフレンドリーな気質からくる影響もあるかと思いますが、それよりもっと本質的なこと<br />
<br />
「歌いたいという欲求が心に宿っているから歌うことができる。」<br />
<br />
ということを指導者が本能的に理解しているからだと思います。<br />
イタリア人を形容する言葉で<br />
Cantare(歌い)、Mangiare(食べ)、Amore(愛する)というのがありますが、彼らにとって『歌う』ということは人間の本能的な欲求の一つなのです。<br />
<br />
私は日本人の声楽レッスンの中で、先生と生徒の対等的な関係、むしろ生徒の方が上、という関係を作ることは非常に重要な事だと思います。何故なら「(先生に指摘された事を)行おう」と意識する身体の使われ方は、既に自分の声を確認する内向きの使われ方になっているからです。私のレッスンでは指摘された事の受け取り方を事前に決めています。<br />
<br />
「そんなこと分かっているよ」<br />
<br />
生徒がこのように私の指摘を受け取る事で、身体の使われ方は観客を前に歌うのと同じような状態に近づきます。<br />
この意識の違いは非常に大きいので、大先生を目の前にしても委縮しないで、心で笑ってみて下さい。<br />
<br />
「そんなこと分かっているよ(^o^)」<br />
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より分かりやすい文体と、曖昧な箇所の具体的説明、配色、スペース等の修正を意識して読みやすくしました。・・・が、 まだ読みにくかったり、文体が硬い (^^;; 所も多いかと思います。<br />
アクセスのページからお問い合わせ頂ければ、分かりにくい箇所は適宜修正していくつもりです。また、発声についてのご質問にもお答え致しますので、ご意見ご感想、お待ちしております。<br />
<a href="http://belcanto.jpn.com/">http://belcanto.jpn.com</a>Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-89571524451385437532014-11-11T15:31:00.001+09:002014-12-04T18:56:45.688+09:00messa di voceはベルカントの試金石声楽の教本を読むと必ず出てくる用語にmessa di voceがあります。イタリア語を直訳すると『声の設置』とでもなるでしょうか。似た用語でmezza voce(半分の声、つまり、息が半分混ざった声という意味)があるので、混同しやすいのですが、全く別の技法です。<br />
<br />
messa di voceの解釈は人によって様々で、声楽教本によって解釈が異なっている場合もあり、初心者にとっては本質が非常に分かりにくいテクニックです。<br />
この技術はカストラートが全盛期の頃は恐らく、当たり前のように聴くことが出来たのでしょう。残念ながら、現代ではその超人芸に接する事は出来なくなってしまいました<br />
<br />
messa di voceの共通した認識として、"声のピッチ、ポジションを保ちながらクレッシェンドで声量を増幅し、頂点からデクレッシェンドで声量を減らしていく" というイメージがあり、youtubeなどの動画でも幾つかの例を参考にすることが出来ます。<br />
これらの動画を参考にする時、気を付けなくてはならないのが、男声と女声では音域によって事情が異なってくるという事です。<br />
<br />
男声、女声共、低声から中声でmessa di voceを行う事は比較的容易であり、初心者でも何も教えていないのに、既にバランスを伴って身につけている人を時々見かけます。<br />
これが音が高くなり、パッサッジョを越えた音域になってくると、女声では正しいテクニックを身に付けた者でないと、喉が閉まり、実現困難になってくるのです。<br />
欧米では学生でも比較的多くの人が出来ているこの技術ですが、声が喉に貼り付く傾向が強い日本人においては、一部の一流の人を除いて、あまりお目に掛かった記憶がありません。ピッチやポジションが間違っている限り、messa dI voceは決して実現出来ないからです。<br />
<br />
男声においては、パッサッジョを越えた音域で難しくなるというより、世界中の一流歌手を見ても、この音域でクレッシェンドしてからデクレッシェンドが出来る人は自分が知る限りでは存在しません。(声のポジションをその箇所だけ喉奥に持って行って出す歌手は何人か聴いた事がある)<br />
ファルセットからクレッシェンドで声量が頂点に達した所から一瞬だけデクレッシェンドに入りかける事は出来ても、女声のように、そこから声をずっと絞っていける例を見た事がありません。男声で最もテクニックがある人でも、この音域では最初からフォルテで、その後デクレッシェンドで声を絞っていくのが精一杯で、それだけでも神業と思える程の技術なのです。<br />
<br />
messa di voceはベルカント唱法のテクニックで最上位に位置するものであり、それを実現出来るよう、日々、勉強を積み重ねる事が、男女共に我々が進むべき正しい道だと私は思います。<br />
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<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-74414094402703865332014-11-08T03:19:00.000+09:002014-12-04T18:58:23.848+09:00ゴールが見えるということ体力作りの為に、時々近くの市民プールに行って泳ぐ事にしている。<br />
10年前には、どんなに死に物狂いで頑張っても500メートルしか泳ぐことが出来なかったが、最近では2キロを泳いでも、全く疲れないようになった。<br />
時々、逆三角形体型の学生とおぼしきスイマーが猛スピードで追い抜いていくのを見て、対抗意識がメラメラと芽生えそうになるが、そういった人種は遠い先祖が魚類だったのだと思うようにし、ひたすらマイペースで泳ぐ事にしている。<br />
<br />
距離を少しずつ伸ばしていく積み重ねによって、2キロの遠泳が可能になったが、もう一つ、息継ぎをしないで25メートルが泳げるようになった事もちょっとした自慢だ。<br />
(v^_^)v<br />
肺活量は人並み以下の自分が、これを達成するのは難しいとずっと思っていたが、ちょっとしたコツを掴むことによって、いとも容易く達成してしまったのだ。<br />
そのコツは<br />
<br />
"ゴールを見続けること"<br />
<br />
それまで、真下を見続けながら泳いでいたのを、15メートルを過ぎた辺りから、前方の水面下に見える25メートルのラインを見続ける様にしたところ、精神的な余裕が生まれ、まるで酸素の予備タンクが備わったかのように息が長持ちするようになり、ゴール迄の腕の力の入れ具合や、水中で息を吐く割合などが自ずと理解出来るようになった。<br />
ホームページで解説しているように、人間は明確な目標を与えると、それを確実にやり遂げようとする本能的な仕組みを持っている。<br />
私の父は生前、76歳で癌が見つかり、「親族で76歳を超えた者はいないので、自分は77歳迄は何としても生きる」と私に話し、77歳の誕生日を迎えて数日後に息を引き取った。<br />
目標がはっきりと見えなかったり、思い描けないと、その目標を達成することは極めて難しくなる。<br />
<br />
声楽のレッスンにおいて、ゴールに相当する『理想の声』が出せるようになるには、<br />
"理想の声が出せた時の自分" がはっきりとイメージ出来ていなければならない。<br />
勘違いしてはならないのは、"理想の声を思い描く" という事では決してないという事だ。<br />
持って生まれた声を磨き上げる事とは、有名歌手の声に近づけるという事ではない。<br />
<br />
"ゴールが見える" ということは即ち、そこに到達する可能性を信ずることが出来るということである。これに正しいテクニックが加わって初めて、ゴールへの到達は可能になる。<br />
逆に、いくら正しいテクニックを学んでも、ゴールが見えていない人は、25メートルのラインを目前にして足を着いてしまうのと同じように、目の前にある『理想の声』の存在に気付かず、自分に足りないものを永遠に模索し続ける悪循環から抜け出す事は出来ない。<br />
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<br />
<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-82104138375701355362014-11-05T12:31:00.000+09:002014-11-05T14:08:29.372+09:00フリードリヒ2世の実験13世紀の初めにローマ帝国皇帝でフリードリヒ2世という人物がいたそうだ。言葉を教わらないで、子供がどんな言葉を話すのか興味を持ち、ある実験を行った。乳母と看護師にミルクや排泄など必要な事は通常の条件にした上で、子供の面倒を見る際、目を見てはいけない、笑いかけてもいけない、話しかけてもいけない、触れ合いを一斉してはいけないと命じた。十分なミルクを与えられていても、愛情をもらえなかった赤ちゃんたちは全員死んでしまう結果になったという。<br />
<br />
心理学者のルネ・スピッツが、戦争で孤児になってしまった乳児55人に、同じような実験を行った結果、27人が2年以内に死亡、17人が成人前に死んでしまい、11人は成人後も生き続けたが、その多くには知的障害や情緒障害が認められたということだ。<br />
原因について述べるのは、ここでは割愛するが、身体の成長に伴う、言葉の発達はこのように生命の存続に密接に関わっていることが理解出来る。<br />
<br />
歌うことに適した発声器官の理想的な働きは、赤ちゃんが言葉を覚えるにつれて次第に失われていくが、人間が言葉を話す発達によって人間らしい情緒、病気に対する免疫力や抵抗力を身に付けていくと考えれば、今、成人になった我々が発声方法を教えたり、分析することが、いかに神秘的な領域なのかを実感せずにはいられない。<br />
<br />
発声を理論だけで解明しようとしても永遠に答えが出ない気がするのは私だけだろうか?<br />
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タイトルは「子供が言葉を獲得するまで」</div>
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赤ちゃんが成長と共に言葉を話すようになる為に必要な事について学んだ。</div>
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以前から興味のある分野だったのだが、いざ、講義の中で難解な専門用語を用いて説明されると、なかなかストレートには頭に入って来ない。これが長年、脳を刺激する事を怠ってきたつけなのだろうか?(~_~;)</div>
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<br /></div>
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講義の中で、言葉を話すことが出来るようになるには、人との関係、モノとの関係、音韻の発達が重要になるという事を教わり、その中で興味深い話があった。<br />
赤ちゃんが見せる微笑は、単なる生理的な反応から情動の共有による誘発的な反応へ移行し、最終的に大人が見せるような社会的な外部を意識したものへ変化していくという。<br />
今まで当たり前だと思っていたことが、成長発達という仕組みがあって出来上がっている事に今更ながら気付かされた。<br />
<br /></div>
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同じグループの参加者の中には、自分と同じ位の世代と思われる女性も2人居たが、半分以上は20代の若者だった。</div>
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学校の施設を、在学中の学生が先導して丁寧に説明してくれたが、彼らの殆どは普通大学を卒業してから全くの異分野であるこの世界を志すらしい。社会人としての経験を積んでから新たに入学する30代、40代の学生も非常に多いと聞いた。</div>
<div>
<br /></div>
<div>
帰りの電車の中で、中学2、3年生くらいの脳に知的障害を持っていると思われる男の子を連れた3人家族と居合わせた。<br />
お父さんは色々な心配や心労もあるのだろう。無表情に外の景色を見ている。<br />
お母さんは子供が興奮して飛び出さないよう、電車が停車してドアが開く度に腰に手を廻して優しく支えていた。<br />
両親2人に会話はなく、2人の大人が見つめる中でその少年は時々、見知らぬ人に向かって手を振ったり、ぶつぶつと独り言のように何かを呟いていた。<br />
電車が再び走り出し、対向車とすれ違った瞬間、その男の子は突然奇声をあげ、窓の外の誰かに手を振りだした。車内の視線は一斉にその子に注がれ、静まり返った車内で男の子の奇声だけが響いていた。<br />
次の瞬間、お父さんはその男の子を力強く抱擁し、男の子は安心したのか、やがて静かになった。様子をずっと見ていた私の目に入って来たそのお父さんの顔には、私が今まで見たこともないような安らぎと慈愛に満ちた微笑みが浮かんでいた。<br />
<br />
ディズニーランドの最寄駅で降りていったその3人の親子の背中には、楽しそうにミッキーの話をしながらはしゃぎ回る子を連れた、近くにいた家族の何倍もの愛が宿っているような気がして 目頭が熱くなった。</div>
<div>
<br /></div>
Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-11348553058798769132014-10-23T19:47:00.000+09:002015-01-19T13:57:53.259+09:00アペルトとコペルト声楽の技法を説明する際には、対比するイタリア語が使われることが非常に多い。<br />
chiuso(閉じる)⇄aperto(開ける)、aperto(開ける)⇄coperto(覆う)、chiaro(明るい)⇄scuro(暗い)<br />
piccolo(小さい)⇄grande(大きい)、alto(高い)⇄basso(低い)、fuori(外)⇄dentro(内)、avanti(前)⇄dietro(後ろ)........等。<br />
<br />
イタリア人の先生はこれらの言葉を巧みに使って、声のポジションを正しい位置に導いてくれる訳だが、この中でapero(開ける)に対比する言葉として使われる、chiuso(閉じる)とcoperto(覆う)の結び付きに頭を悩ませている人(特に男性)は多いのではないだろうか?<br />
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自分もイタリアに留学する前は、この点について、漠然とした理解しかしておらず、イタリアでレッスンを受け始めてからも、パッサッジョ域にさし掛かると、無意識に喉を閉めてしまう癖がなかなか取れず、Apri la gola!! (喉を開けろ!!)と怒られてばかりいた。<br />
先生に言われるまま喉を開けると、今度は声を制御しきれず、フォルテのみの、いわゆる「開きっぱなしの声」になってしまい、先生が「それでいい!!」と言ってくれても、素直に納得出来ず、暫くレッスンから離れていた時期があった。<br />
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この疑問に良いヒントを与えてくれたのが、あるコンクールで知り合った韓国人のバリトン歌手で、非常に素晴らしい声で演奏をしていたので「Bravo! 素晴らしい演奏でした! 」と話し掛けると、イタリアで師事した有名歌手の話や、韓国人の歌手仲間がどんな先生と勉強しているか等、色々と興味深い話をしてくれた。<br />
テクニックの話の中で「あなたの声は非常に安定しているように感じられましたが、何か特別な秘訣でも?」と質問してみた所、予想通り「歌の神様に全てを・・・( ´ ▽ ` )ノ」と話し出したので、話を遮らない様、丁重に聞き役に徹した後、「ところでパッサッジョ域はどのように出しているのですか?」と、当時最も答えを知りたかった質問を投げかけてみた。<br />
彼は確信した表情で「パッサッジョなんて無い。ただ、下の音から既にcopertoでpassare しているんだ」とあっさりと貴重なテクニックの秘訣を話してくれ、「でも、これを実際に歌で使えるようになるには・・・・・勉強、勉強、勉強」と優しい微笑みを浮かべながら付け加えることを忘れなかった。<br />
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愚者ほど、言葉の裏に隠されている真理を見過ごし、表面的な見える事だけに固着するものだが、紛れもなくその一員であった自分も、暫くの間、この方法で練習を続け、声を重くしていった苦い経験がある。chiusoとcopertoをいつの間にか、同一の事と解釈し、喉を閉めながら高い音を出す悪い癖に戻っていたのだ。<br />
結局の所、どんなに正しいテクニックを授かっても、文章の行間を読み取るような鋭い洞察力が無ければ、それを自分の物にする事は出来ないんだということを学んだのは、それから1年程が経ってからだった。<br />
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発声において、aperto(喉を開く)という要素は常に機能していなければならない絶対的要素で、そこにcoperto(覆う)というニュアンスが加わるべきだとしても、本当に声を覆ったり、chiuso(喉を閉じる)していては、本意とする所から外れてしまうし、目指すべき声も決して出て来ない。<br />
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賢者か愚者かは、学ぼうとする側が相手から何を学べたかによっていつも決まる。<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-59846899791341784452014-10-20T04:47:00.001+09:002014-10-20T04:49:32.728+09:00「ザ・テノール 真実の物語」を観て思ったこと現在、公開中の映画「ザ・テノール 真実の物語」を観に行った。原題が「ザ・テノール リリコスピント」となっているのを見れば明らかなように、かなりディテールにこだわりが感じられる、本格的なオペラ映画だった。日韓合作との事だが、監督や主要スタッフは、ほとんどが韓国人のようで、日本人による作品とは違った魅力があり、最後までスクリーンから目が離せなかった。<br />
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この映画の主人公は、数年前、NHKのドキュメンタリー番組で、声の再生手術を受けるオペラ歌手として取り上げられていた、ベー・チチョルというテノールで、私は留学していた頃、一度だけコンクールで生の声を聴いたことがある。その時歌っていた、アンドレアシェニエの「improvviso」の最初の声が会場に見事に響き渡った瞬間、観客がその声の威力に、静まりかえった光景は今でも鮮明に脳に焼き付いている。<br />
ドイツの歌劇場で大活躍していた彼が、その後、甲状腺癌に侵され、声を失っていく過程は見ていて、とても辛かった。周囲が期待する中、歌う本人だけが喉の異変に気付き、舞台開始の時間が刻々と迫ってくる恐怖感は、同じテノールならきっと共感出来るはずである。<br />
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今、ヨーロッパのオペラハウスでは、韓国人歌手を抜きにしたキャスティングは考えられないと言われるほど、彼らの実力は認められている。国際コンクールで上位を占めるのは常に韓国人歌手であり、留学生の数も半端ではない。<br />
日本の聴衆は、同じ東洋人として彼らを甘く見ている為なのか、有名歌劇場の引っ越し公演などで、主役の西洋人歌手が急病などの理由で韓国人歌手に変更になったりすると、「金返せ!」などと声を荒げる人も居るようだが、オペラの本場、ヨーロッパで認められている彼らの声は、西洋人と比べても全く遜色のない音色とテクニックの正確さを兼ね備えており、日本人の数段上を行っている事は明らかだ。時には、本来予定されていた西洋人歌手よりも演技、声の実力ともに上回る事さえある。<br />
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映画の中で、彼が日本人のインタビュアーの「どうしてオペラ歌手になろうと思ったのですか?」という質問に、暫く間を置いてから、「オペラ歌手とは、なりたくてなれる職業ではありません。なんと言うか…神様が自分だけに与えてくれた…」と答えた事に、日本人の音楽関係者がドン引きしているシーンが描かれているが、こういった感覚の差に日本が韓国に大きく水を空けられている理由が隠されていると思う。<br />
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実際、私がイタリアで出会った韓国人歌手には、ボクシングの選手、軍隊の通信士等、音楽とは畑違いの出身者が結構おり、皆『神から与えられた宝』を磨いて、一旗上げるためにイタリアに勉強に来ていた。合唱がきっかけで音大に入り、オペラを勉強する様になったという、日本では一般的な道を歩んでいる人も確かに多いが、こういった背景が競争力を高めて、声のクオリティーが高い人だけが生き残れるという、本来あるべき土台が作られている。<br />
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イタリアでは今でも、コックや警察官出身の歌手がいたりするが、日本でもそういった環境が許容されれば、歌手のクオリティーが上がり、オペラの人気を下押しする事に繋がると思う。「昨日まで蕎麦屋の出前だった人が新国に主役デビューした‼︎」などといったニュースを早く聞きたいものだ。<br />
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<br />Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/05744227490730126562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8241533309395816198.post-945425883800838472014-10-15T16:54:00.000+09:002014-10-15T16:54:06.104+09:00ホームページに『当メソードへの質問と回答』を追加しました私のホームページに『当メソードへの質問と回答』を追加しました。これからも少しづつ増やしていく予定ですので、よろしかったら見て行って下さい。<br />
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