レッスンを行っている中で、声のポジションが定まらない人には母音だけで歌って貰う事があります。
子音を含んだ歌詞で歌うよりポジションが安定し、楽に歌えるはずです。
ここで問題となるのが、一旦は良いポジションを掴んでも、歌詞で再び歌って貰うと殆どの人は元の歌い方に戻ってしまうという事です。
古いベルカントのメソードの声楽家が難しいフレーズをいとも簡単に歌ってしまうコツが実はこの "母音だけで歌う感覚" に隠されています。
彼らにとっての歌唱中の意識の置き場はこの "母音" に集中しています。決して "歌詞" という子音を含んだ大きな単位ではないのです。
では、この古いメソードにおいて、歌詞についてのアプローチはどのように考えたら良いのでしょう?
イタリアでのレッスンでジュリアーノ先生は「Niente dramma Niente parole !!」(ドラマも歌詞も考えるな!) と良く注意して下さいました。
日本に帰国してから色々調べてみると「声を発している時に歌詞を考えてはいけない」という極少数派の考えの歌手は総じて母音がはっきりとマスケラのポジションにはまった印象の立体的な声をしていました。
これとは逆に「言葉、歌詞を大切に歌う」という多数派の考えの歌手は母音というより、響きのポジションは一定でも母音のポジションははっきりと定まった印象の声ではありませんでしたが、ドラマが見えるような表現力が感じられました。
発声の理解について、まだ表面的な事に留まっている時期には「高音域が弱いが表現力や演技力がある歌手」、「表現力には多少欠けるが高音域に強く声が良く飛んでいる歌手」などといった漠然とした分類によって歌手の好みは分かれ易いものですが、この直感的な区分けこそが母音を重視しているか歌詞そのものを重視しているかの違いを純粋に示している場合が少なくありません。
日本の声楽教育では初心者にコールユーブンゲンやヴァッカイを音名や歌詞でいきなり歌わせているケースが多くみられます。
初心者だからといって、正しい響きを掴めていないままレッスンを進めてもその結果は声帯障害に繋がることは目に見えています。
母音だけに意識を置いていても自然な歌詞の表現は可能です。でもそれ以前に我々歌手が認識すべき事があります。
観客が「あの歌手の声は歌詞が良く聞き取れた」という感想を抱くのは殆どの場合「母音が聞き取れた」事による錯覚であったということです。
終演後にお客様と歓談する際は「歌詞一つ一つに心を込めて歌いました」と言っておけばどちらも満足して演奏の余韻に浸ることが出来ます。(^o^)
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声、その神秘と発声についてのブログ
東京都多摩市にて伝統的ベルカント唱法の指導を行っています。パッサッジョやアクートなどでお悩みの方、専門技術を身に付けたい方の為の教室として、評価を頂いております。このブログでは日々、声について思う事を思うままに綴っています。 詳しい情報はホームページで http://tamadeseigaku.com
2015年3月29日日曜日
2015年3月17日火曜日
喉が温まった感覚とハミングのポジション
ハミングの練習を軽く考えている人は意外と多いようです。
レッスンで「ハミングはどのように教わりましたか?」と質問しても、その方法を習った事のある人は殆どいません。
ハミングで発した響きが正しいポジションに共鳴していれば、その後に続く実際に声を発するレッスンは順調に進んでいきます。
正しいハミングの響きが掴めていないのに声をむやみに出させても声を疲弊させ、習得を遅らせるだけです。
今迄私がレッスンをする中で「ハミング(Humming)してみて下さい」とお願いした所、殆ど全ての人が喉を閉めた状態で小鼻に抜くような音で響かせていました。人によっては息を飲む様であったり、響きが全く無いまま単に『N』の音を出しているだけの場合もありました。
歴代の偉大な歌手はハミングによる練習の価値を大いに認めていると言われています。
まだイタリアに留学する前の20代後半の頃迄、私はこの意味が正直あまり良く理解出来ていませんでした。
例えば本番で歌う前、発声練習をある程度行い、喉が温まった感覚が無いと安心して声を出すことができず、発声練習を全く行わないで適当なハミングだけを行って直ぐに舞台に出て行く歌手が不思議でなりませんでした。
『喉が温まった感覚』とは紛れもなく、喉に負担を与え続けた結果です。
正しいハミングのポジションから外れたポジションで歌った時に感じる症状であり、声が喉の何処かでブロックされている証なのです。
起床時以外で『喉が温まっていない』と感じるのは緊張や不安で喉が閉まっている状態の時が多く、その為に発声練習を行って『喉が温まった』と感じるのは、間違ったポジションか喉が完全に開いていない状態で声を出し続けたからなのです。
本番前は楽屋で発声練習を黙々と行うより、軽いお喋りでもしてリラックスした後、正しいハミングでポジションを確保する練習をした方が本番では遥かに良い結果を生みます。入念な発声練習を行うのは自宅で声を目覚めさせる時と、本番迄にうたた寝をしてしまった時ぐらいで、直前の発声練習で無駄に声を消費するより直前のハミングで声の通路を確保してやれば充分なのです。
感覚や経験に頼るのではなく、歴代の名歌手が認めている方法を尊重する事は非常に重要な事だと私は思います。
一番騙しやすい人間は何時でも自分自身です。
http://tamadeseigaku.com
レッスンで「ハミングはどのように教わりましたか?」と質問しても、その方法を習った事のある人は殆どいません。
ハミングで発した響きが正しいポジションに共鳴していれば、その後に続く実際に声を発するレッスンは順調に進んでいきます。
正しいハミングの響きが掴めていないのに声をむやみに出させても声を疲弊させ、習得を遅らせるだけです。
今迄私がレッスンをする中で「ハミング(Humming)してみて下さい」とお願いした所、殆ど全ての人が喉を閉めた状態で小鼻に抜くような音で響かせていました。人によっては息を飲む様であったり、響きが全く無いまま単に『N』の音を出しているだけの場合もありました。
歴代の偉大な歌手はハミングによる練習の価値を大いに認めていると言われています。
まだイタリアに留学する前の20代後半の頃迄、私はこの意味が正直あまり良く理解出来ていませんでした。
例えば本番で歌う前、発声練習をある程度行い、喉が温まった感覚が無いと安心して声を出すことができず、発声練習を全く行わないで適当なハミングだけを行って直ぐに舞台に出て行く歌手が不思議でなりませんでした。
『喉が温まった感覚』とは紛れもなく、喉に負担を与え続けた結果です。
正しいハミングのポジションから外れたポジションで歌った時に感じる症状であり、声が喉の何処かでブロックされている証なのです。
起床時以外で『喉が温まっていない』と感じるのは緊張や不安で喉が閉まっている状態の時が多く、その為に発声練習を行って『喉が温まった』と感じるのは、間違ったポジションか喉が完全に開いていない状態で声を出し続けたからなのです。
本番前は楽屋で発声練習を黙々と行うより、軽いお喋りでもしてリラックスした後、正しいハミングでポジションを確保する練習をした方が本番では遥かに良い結果を生みます。入念な発声練習を行うのは自宅で声を目覚めさせる時と、本番迄にうたた寝をしてしまった時ぐらいで、直前の発声練習で無駄に声を消費するより直前のハミングで声の通路を確保してやれば充分なのです。
感覚や経験に頼るのではなく、歴代の名歌手が認めている方法を尊重する事は非常に重要な事だと私は思います。
一番騙しやすい人間は何時でも自分自身です。
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2015年3月9日月曜日
頭声と胸声、falsettoとmezzavoce
「頭声」「胸声」という呼称が相応しいものなのか疑問ですが、声は大きく分けるとこの2つに分類されます。
頭声とファルセットを同一に扱っている教本を時々見かけますが、これは大きな間違いです。
ファルセット(falsetto)のfalseとは「偽物の」という意味ですが、単独では弱々しいものでしかないこの意識を、正しい共鳴のポジションに作用させる事が出来るようになると、喉に負担のない声を会得することが出来ます。この声こそがベルカント唱法で言う本当の頭声で、響きの良いホールで歌えば、胸声のような量感を伴った声として客席に届くように出来ているのです。正しい頭声のポジションで作られた声は鼻をつまんでも音色が殆ど変わりません。
一方、mezzavoceのmezzaとは(半分の)という意味で、声を100パーセント鳴らすのではなく、息を半分混ぜるような感覚で弱声のニュアンスを出すテクニックとされています。
男声、特にテノールではこのfalsettoとmezzavoceの違いについて良く議論が交わされますが、聴いているだけでその違いを判別するにはかなりの年季が必要です。
私もイタリアで古いベルカント唱法に出会う迄は、このmezzavoceのテクニックがどう行われているのか、どうしても理解することが出来ませんでした。
実際にmezzavoceと思しき声を出している一流歌手がこの種のテクニックについてコメントしているのを聞くと、ファルセットやファルセットーネという単語が頻繁に使われており、彼らの感覚の中には「息を半分混ぜるような感覚」が無いことを窺い知ることが出来ます。頭声の感覚をつかめていない歌手にはこの感覚は決して理解出来ない筈です。
私のレッスンではこの頭声を掴む為のポジションとピッチは吸気の時点で確保するように指導します。
最初の内はどの生徒さんも戸惑われますが、一旦身に付けることができると、それまでの声の出し方が如何に喉に負担を与えていたかを実感するようで、「末長きお付き合いを!!」と依頼されます。
私が生きている意味を最も感じられる瞬間です。(^○^)
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頭声とファルセットを同一に扱っている教本を時々見かけますが、これは大きな間違いです。
ファルセット(falsetto)のfalseとは「偽物の」という意味ですが、単独では弱々しいものでしかないこの意識を、正しい共鳴のポジションに作用させる事が出来るようになると、喉に負担のない声を会得することが出来ます。この声こそがベルカント唱法で言う本当の頭声で、響きの良いホールで歌えば、胸声のような量感を伴った声として客席に届くように出来ているのです。正しい頭声のポジションで作られた声は鼻をつまんでも音色が殆ど変わりません。
一方、mezzavoceのmezzaとは(半分の)という意味で、声を100パーセント鳴らすのではなく、息を半分混ぜるような感覚で弱声のニュアンスを出すテクニックとされています。
男声、特にテノールではこのfalsettoとmezzavoceの違いについて良く議論が交わされますが、聴いているだけでその違いを判別するにはかなりの年季が必要です。
私もイタリアで古いベルカント唱法に出会う迄は、このmezzavoceのテクニックがどう行われているのか、どうしても理解することが出来ませんでした。
実際にmezzavoceと思しき声を出している一流歌手がこの種のテクニックについてコメントしているのを聞くと、ファルセットやファルセットーネという単語が頻繁に使われており、彼らの感覚の中には「息を半分混ぜるような感覚」が無いことを窺い知ることが出来ます。頭声の感覚をつかめていない歌手にはこの感覚は決して理解出来ない筈です。
私のレッスンではこの頭声を掴む為のポジションとピッチは吸気の時点で確保するように指導します。
最初の内はどの生徒さんも戸惑われますが、一旦身に付けることができると、それまでの声の出し方が如何に喉に負担を与えていたかを実感するようで、「末長きお付き合いを!!」と依頼されます。
私が生きている意味を最も感じられる瞬間です。(^○^)
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2015年2月20日金曜日
chiuso(キューゾ)を言葉通りに解釈しない
パッサッジョの音域で使われるcoperto(コペルト:覆う)とchiuso(キューゾ:閉める)というイタリア語は非常に混同しやすい単語で、使っているイタリア人の指導者ですら同義語として扱っている例が少なくありません。
日本人指導者もイタリア人の名歌手も同じように『chiuso!! 』と指導をしていますが、同じ単語でも日本人とイタリア人ではテクニックの意味合いが少し異なります。
多くの日本人指導者の解釈でキューゾが意味する所は、aperto(アペルト:喉を開ける)の対義語として位置付けられるもので、パッサッジョの音域を若干喉を閉め気味にして、coperto(コペルト:覆う)ように出していくというものです。
イタリアの指導者が使っている「chiuso !!」はちょっと意味合いが違います。
もし、「chiuso」という表現を用いるイタリア人指導者の指導を受ける機会に恵まれたら、試しに上のような声の出し方をしてみて下さい。恐らく「Apri la gola !! 喉を開けなさい」と指摘されてしまうことでしょう。
イタリア人の指導者にとってchiusoが意味する所は『閉める』感覚では無く、『喉を開けながら覆う』感覚に近いのです。
日本人が同じようにこの感覚で声を出そうとしても、日本語の低いピッチがネックとなり、顎に力が入り、響きが口の中でブロックされてしまいます。イタリア人のように余計な力を顎付近に及ぼさず、スムーズにこの音域を頭声としてクリアーする事が出来ないのです。
この点を克服するには何よりイタリア語の正しいピッチとポジションをつかむことが重要で、マンツーマンでの慎重な見極めが必要になるのです。
独学での勉強ではこの点が曖昧になってしまい、結局、発声器官の各部に無理な力を加える結果に終わってしまいます。
上手くこの音域をクリアー出来ないので『閉じる』『開ける』の2つの方法論が常に対峙したままになっているのです。
塩の辛さ、砂糖の甘さはいくら言葉で説明しても理解出来ませんが、なめてみれば誰でもすぐに理解出来ます。「習うより慣れよ」です。
http://tamadeseigaku.com
日本人指導者もイタリア人の名歌手も同じように『chiuso!! 』と指導をしていますが、同じ単語でも日本人とイタリア人ではテクニックの意味合いが少し異なります。
多くの日本人指導者の解釈でキューゾが意味する所は、aperto(アペルト:喉を開ける)の対義語として位置付けられるもので、パッサッジョの音域を若干喉を閉め気味にして、coperto(コペルト:覆う)ように出していくというものです。
イタリアの指導者が使っている「chiuso !!」はちょっと意味合いが違います。
もし、「chiuso」という表現を用いるイタリア人指導者の指導を受ける機会に恵まれたら、試しに上のような声の出し方をしてみて下さい。恐らく「Apri la gola !! 喉を開けなさい」と指摘されてしまうことでしょう。
イタリア人の指導者にとってchiusoが意味する所は『閉める』感覚では無く、『喉を開けながら覆う』感覚に近いのです。
日本人が同じようにこの感覚で声を出そうとしても、日本語の低いピッチがネックとなり、顎に力が入り、響きが口の中でブロックされてしまいます。イタリア人のように余計な力を顎付近に及ぼさず、スムーズにこの音域を頭声としてクリアーする事が出来ないのです。
この点を克服するには何よりイタリア語の正しいピッチとポジションをつかむことが重要で、マンツーマンでの慎重な見極めが必要になるのです。
独学での勉強ではこの点が曖昧になってしまい、結局、発声器官の各部に無理な力を加える結果に終わってしまいます。
上手くこの音域をクリアー出来ないので『閉じる』『開ける』の2つの方法論が常に対峙したままになっているのです。
塩の辛さ、砂糖の甘さはいくら言葉で説明しても理解出来ませんが、なめてみれば誰でもすぐに理解出来ます。「習うより慣れよ」です。
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2015年2月14日土曜日
自分の声に合った曲を選ぶ弊害
タイトルをご覧になって遂に頭がおかしくなったか? と思われるかもしれませんが、あながち全くのデタラメでもないだろうと私なりに解釈している事です。
一般的に初心者が曲を選ぶ時、まず自分の声質に合った曲を選びます。声質が軽い、重いの基準がそこには存在します。
選んだ曲が一度も聴いた事が無い、全くの初見であれば何も問題は有りません。
もし、選んだその曲を過去に一度でも聴いた事が有り、その印象で選曲したのであれば、一つ注意しなくてはならないことがあります。
『その曲が軽い、重いといった先入観を持たないで歌う』という事です。
CDや映像で聴いたり見たりして受けたイメージは、必ず本人の歌の中に現れます。
つまり、一つ一つの音節を正しい方法で響かせる事より、イメージで声を作り上げることが先行してしまう危険性があるのです。
本人が模倣している感覚は無くても、 潜在意識は確実にその影響を受けており、知らず知らず本来のフォームから外れてしまう事が多いのです。
軽い声質のソプラノが軽い曲を選択した時、そのままモデルにした歌い方をイメージして歌ってしまうと、喉開けが中途半端な状態になり、小手先の軽さ、白い声、浅い声になりがちです。
また、重い声のテノールが重い曲を選択した時、同じようにモデル化されたイメージによって声を押してしまい易く、抜けの良い高音域を出すのが難しくなります。
このような症状の生徒さんには、一時的に声質の重い人には軽い曲、軽い声質の人には重い曲を歌ってもらう事があります。
この試みはあくまで一時的に終わらせる事が前提ですが、非常に大きな効果が出てきます。
軽い声の生徒さんには深い発音が伴うようになり、重い声の生徒さんはイタリア語の正しい声のポジションが掴み易くなります。
日本人の声種を決める(重い軽いの)基準は西欧に比べて重めになる傾向があります。
日本ではリリコやリリコスピントとして歌ってきた歌い手が留学先の先生に「あなたの声はリリコレッジェーロです」と言い渡されるようなケースは非常に多いのです。
選曲はくれぐれも先入観を持たず、世界中に一つしかない本来の自分の声を尊重することが何よりも大切です。
http://tamadeseigaku.com
一般的に初心者が曲を選ぶ時、まず自分の声質に合った曲を選びます。声質が軽い、重いの基準がそこには存在します。
選んだ曲が一度も聴いた事が無い、全くの初見であれば何も問題は有りません。
もし、選んだその曲を過去に一度でも聴いた事が有り、その印象で選曲したのであれば、一つ注意しなくてはならないことがあります。
『その曲が軽い、重いといった先入観を持たないで歌う』という事です。
CDや映像で聴いたり見たりして受けたイメージは、必ず本人の歌の中に現れます。
つまり、一つ一つの音節を正しい方法で響かせる事より、イメージで声を作り上げることが先行してしまう危険性があるのです。
本人が模倣している感覚は無くても、 潜在意識は確実にその影響を受けており、知らず知らず本来のフォームから外れてしまう事が多いのです。
軽い声質のソプラノが軽い曲を選択した時、そのままモデルにした歌い方をイメージして歌ってしまうと、喉開けが中途半端な状態になり、小手先の軽さ、白い声、浅い声になりがちです。
また、重い声のテノールが重い曲を選択した時、同じようにモデル化されたイメージによって声を押してしまい易く、抜けの良い高音域を出すのが難しくなります。
このような症状の生徒さんには、一時的に声質の重い人には軽い曲、軽い声質の人には重い曲を歌ってもらう事があります。
この試みはあくまで一時的に終わらせる事が前提ですが、非常に大きな効果が出てきます。
軽い声の生徒さんには深い発音が伴うようになり、重い声の生徒さんはイタリア語の正しい声のポジションが掴み易くなります。
日本人の声種を決める(重い軽いの)基準は西欧に比べて重めになる傾向があります。
日本ではリリコやリリコスピントとして歌ってきた歌い手が留学先の先生に「あなたの声はリリコレッジェーロです」と言い渡されるようなケースは非常に多いのです。
選曲はくれぐれも先入観を持たず、世界中に一つしかない本来の自分の声を尊重することが何よりも大切です。
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2015年1月30日金曜日
頭と胴体の前後関係
息が上手く吸えても、その息が声と結び付けられている実感を持てる人は大変少ないと思います。
この実感を持てない人に共通しているのは、「発音する」という意識が「響かせる」という意識を上回っている事です。但し、この事を短時間で克服するのは不可能です。
正しい頭声の響きをマスターするには正しいテクニックは勿論ですが、「自分に聴こえる声の価値観」を根本的に変える必要があり、この理解にも非常に時間を要するからです。このことに関してはレッスンで学んで頂く以外ありません。
もうひとつ息と響きを結び付けるために重要で、しかも簡単に実行出来る事があります。
"胴体に乗っている頭の前後関係を調節する" ということです。
この位置関係により、自分では気が付かない『息の通り道』が確保され、息が響きを作ることに結び付いている感覚を実感出来る場合があります。
姿勢が猫背になっていたり、顎を引き過ぎていると気道を始めとする息の通り道が遮断され、軽く明るい響きにならないのです。
試しに楽譜を見る角度や指導者を見る角度に気を付けてみて下さい。
可愛くて若い女性やイケメンの指導者の前で自分を良く見せようと思うあまり、必要以上に胸を張っていたり、見惚れてしまい顎が前に出るような格好で歌っていないでしょうか?
残念ながら私の生徒さんには一人としてそのような格好で歌っている人がいません。(-。-;
http://tamadeseigaku.com
この実感を持てない人に共通しているのは、「発音する」という意識が「響かせる」という意識を上回っている事です。但し、この事を短時間で克服するのは不可能です。
正しい頭声の響きをマスターするには正しいテクニックは勿論ですが、「自分に聴こえる声の価値観」を根本的に変える必要があり、この理解にも非常に時間を要するからです。このことに関してはレッスンで学んで頂く以外ありません。
もうひとつ息と響きを結び付けるために重要で、しかも簡単に実行出来る事があります。
"胴体に乗っている頭の前後関係を調節する" ということです。
この位置関係により、自分では気が付かない『息の通り道』が確保され、息が響きを作ることに結び付いている感覚を実感出来る場合があります。
姿勢が猫背になっていたり、顎を引き過ぎていると気道を始めとする息の通り道が遮断され、軽く明るい響きにならないのです。
試しに楽譜を見る角度や指導者を見る角度に気を付けてみて下さい。
可愛くて若い女性やイケメンの指導者の前で自分を良く見せようと思うあまり、必要以上に胸を張っていたり、見惚れてしまい顎が前に出るような格好で歌っていないでしょうか?
残念ながら私の生徒さんには一人としてそのような格好で歌っている人がいません。(-。-;
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2015年1月27日火曜日
重力は声に影響を与えるか?
歌う時、音取りをしている時、どのような姿勢をとると楽でしょうか?
人によって感覚は様々ですが、殆どの人は良い姿勢で立った状態が歌い易いと感じるでしょう。
声楽の呼吸法は決して特別なものではありませんが、何かを意識的に考えたり、緊張していると睡眠時に行っているような自然な呼吸は行えません。
立って歌っている時も、横になっている睡眠時も身体が一直線に伸びた状態である事に変わりはありませんが、重力に対して横隔膜の動きが影響を受けるか受けないかという点で大きな違いがあります。
お腹の前を硬くしてしまったり、横隔膜を真下に押し付けてしまい、自然な呼吸を妨げてしまうもう一つの原因としてこの重力の影響があります。横になって呼吸してみると立っている時より横隔膜がスムーズに動いているのを実感できる筈です。
特殊な器具を使い、足を固定した状態で逆さまにされると、重力によって頭の方向へ上がって来た横隔膜自体の重みを感じることが出来るので、その力に反した横隔膜を元の位置にリフトアップして戻す吸気力が必要になります。
実際に立って歌う時、『横隔膜を下げる為』にこれとほぼ同じ力を与えている人は皆お腹を固くしてしまう為、スムーズな腹式呼吸が出来ないのです。
初心者が自然な腹式呼吸を身に付ける際、吸い方などを意識的に行おうとするのは禁物です。
最も自然で間違えの無い感覚は、肺に残された全ての息を吐き切り、脱力した瞬間に自分の体が教えてくれます。
自然な流れに逆って酸欠にならないよう、くれぐれもご注意頂くようお願い致します m(._.)m
http://tamadeseigaku.com
人によって感覚は様々ですが、殆どの人は良い姿勢で立った状態が歌い易いと感じるでしょう。
声楽の呼吸法は決して特別なものではありませんが、何かを意識的に考えたり、緊張していると睡眠時に行っているような自然な呼吸は行えません。
立って歌っている時も、横になっている睡眠時も身体が一直線に伸びた状態である事に変わりはありませんが、重力に対して横隔膜の動きが影響を受けるか受けないかという点で大きな違いがあります。
お腹の前を硬くしてしまったり、横隔膜を真下に押し付けてしまい、自然な呼吸を妨げてしまうもう一つの原因としてこの重力の影響があります。横になって呼吸してみると立っている時より横隔膜がスムーズに動いているのを実感できる筈です。
特殊な器具を使い、足を固定した状態で逆さまにされると、重力によって頭の方向へ上がって来た横隔膜自体の重みを感じることが出来るので、その力に反した横隔膜を元の位置にリフトアップして戻す吸気力が必要になります。
実際に立って歌う時、『横隔膜を下げる為』にこれとほぼ同じ力を与えている人は皆お腹を固くしてしまう為、スムーズな腹式呼吸が出来ないのです。
初心者が自然な腹式呼吸を身に付ける際、吸い方などを意識的に行おうとするのは禁物です。
最も自然で間違えの無い感覚は、肺に残された全ての息を吐き切り、脱力した瞬間に自分の体が教えてくれます。
自然な流れに逆って酸欠にならないよう、くれぐれもご注意頂くようお願い致します m(._.)m
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