2014年9月10日水曜日

マリオ・ランツァの声について考える

コンサートで歌うBecauseという曲の参考にする為、「歌劇王カルーソー」という古い伝記映画のビデオを観た。Becauseは映画の中で、カルーソーの娘が誕生したシーンで、我が子に対する父親の想いとして歌われている名曲だ。
この映画の中でカルーソー役を歌い、演じているのが、かつて一世を風靡したアメリカ人テノールのマリオ・ランツァで、彼は38年という短い生涯の中で多くの音楽映画に出演し、今だに世界中に多くのファンを持つ伝説的歌手である。彼の歌い回しやレパートリーの選び方については声楽の専門家からは異論が多いと聞くが、他のオペラ歌手が持ち合わせない、独特の開放感のある歌唱の魅力は今日でも捨てがたいものがある。

一昔前、某声楽コンクールの本選会場で配布されたパンフレットにマリオ・ランツァについての審査委員長の記述があった。レコードでは非常に声量のある声に聞こえる彼の声は、マイクを使わないオペラの舞台では蚊の鳴くような声にしか聴こえなかったという。
自分が留学していた頃、イタリアのヴェローナ音楽祭のメリーウィドーに出演したテノールのアンドレア・ボチェッリを聴いた時も、他のオペラ歌手と比較して蚊の鳴くような声にしか聴こえず、マイクを日常的に使う歌手の発声の盲点に気付かされたことを思い出した。

現代の優れた録音機器で収録された音源から、こういった生の舞台での声の飛び方の特性を想像するのは非常に難しく、実際に生の声を聴くと、想像していた声の飛び方と全く違う事に驚かされる事も多い。これはスタジオで収録する際、モニター音としてマイクで拾われた自分の声を聴きながら歌ってみると原因を明らかにすることが出来る。
声楽家は骨伝導を通して自分に聴こえる声と、外で他の人に聴こえる声が全く違うことを理解し、正しい共鳴の感覚を頼りに歌わなくてはならないが、モニターから出てくる身体の外で鳴っている自分の声を聴いてしまうことにより、骨伝導を通した聴こえ方が封印され、自分に聴こえる声と外で聴こえる声が全く同じになってしまい、正しい共鳴のバランスを崩してしまう。マイクを使わない舞台で歌った時にその影響は初めて明るみに出ることになる。

生の声がどうであれ、マリオ・ランツァは多くの優れた録音を残し、その声は録音媒体によって永遠に人々を魅了し続けるであろう。
自分のコンサートを聴いたお客様が、せめて、その日の夕飯のメニューを考えるまでは声の余韻に浸って貰えるような、自分はそんな存在でありたいと思っている。(⌒-⌒; )

http://belcanto.jpn.com

0 件のコメント:

コメントを投稿