2014年8月28日木曜日

アリアの重い軽いについて考える

コンサートのプログラムに加えるか検討するため『道化師』の ”衣装をつけろ” を練習している。
この曲は20代の頃に何度か歌ったことがあったが、発声について表面的な理解しかしていなかった当時は、狭い練習室の中で喉を締め付けながら、繰り返し練習したものである。今振り返ると、若さゆえの無謀さにあきれ果てるばかりだが、この曲を繰り返し練習しすぎることは、パッサッジョ音域で喉が固まり易く、発声がかなり完成された現在でも、声の調子を崩す危険性と常に隣り合わせであると言える。

一般的に音楽学校や音楽大学で重めの曲を試験曲に選ぶと、先生方には、かなり白い目で見られ、軽めの曲を持ってくるように指導される事が多い。若いころの自分も例外ではなく、ヴェルディ後期の重めのアリアを選ぼうとすると、「もう少し年月が経って声が熟してからにしなさい!」とよく忠告を受けたものである。
声が完成されていない若い時期に重めのアリアを練習する事は確かに好ましいことではない。ただ、そのアリア一曲が重めのものであるのか、オペラ全体が重めのものなのかを指揮やピアニスト出身の先生が混同しているのを時々感じることがある。テノールのアリアでいえば、ジョコンダの「空と海」やアフリカの女の「おおパラダイス」、エルナー二の「ありがとう愛する友たちよ」等は日本ではほとんど歌われる事はないが、パッサッジョの練習には非常に適した曲であり、オペラのイメージから連想されるような声の重さや負担は、正しいパッサッジョの克服によって、ほとんど問題なく回避することができる。
声楽の先生でも、そのオペラが重めのものであるという理由から、実際にそのアリアを自分で歌うことを最初から敬遠し、先入観で「重いアリアだから生徒には危険!」と決めつけているケースもあると思う。
こういった例外的な曲こそ、声楽を学んでいる人にもっと取り上げて欲しい曲であり、テノールで ”衣装をつけろ” を歌うのであれば、その前に必ずマスターする必要のある曲だと思っている。
声質が軽めのテノールが ”衣装をつけろ” を歌うことは通常はあり得ないことだが、日本ではそういった常識は無視されており、あちこちの舞台上で声が崩壊寸前の道化師が「喜劇は終わった!!」と泣き崩れている。

これとは逆に、高音を含まない一つの声区だけで成り立っている曲を繰り返し練習する事も大変に危険なことであり、日本では初心者に適していると考えられているのか、五線の上の音が出てくる曲をかなり後になってから取り組ませる傾向があるように思う。
このパッサッジョを含んだ曲を初心者の声楽レッスンで後回しにする傾向は、日本人のパッサッジョの克服を難しくしている大きな要因の一つになっていると私は思う。
パッサッジョは声の重心の感覚が重要であり、初心者がパッサッジョが存在しない高音のない曲ばかりを歌っていると声の重心の感覚は下がり、それがすりこみによって定着してしまう。
これは大変に危険なことであり、五線の上と下を適度な割合で上下していないと声の柔軟さは次第に失われていき、レパートリーを拡張していくこともできなくなってくる。初心者が古典歌曲から始める際も、こういったことを考慮して慎重に調性を選ぶ必要がある。長期的に見れば、こういった配慮が声の負担を減らし、高齢になっても若々しい声を保つ一つの要因になるのだと思う。


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